チチハル高校教師の徐家玉さんは何度も残虐な拷問を受けた
(明慧日本)徐家玉さんはチチハルの富拉爾基第1重機機械グループ会社の第5子弟高校の国語教師である。法輪大法に対する信念を堅持するため、何度も警官らに残虐な拷問で苦しめられた。現在徐家玉さんは黒竜江省の女子刑務所に連行し迫害されている。
2002年4月19日の深夜、徐家玉さんは富拉爾基の公安支局に不法に捕まえられて、東重の後の派出所で警官に調理めん棒でめった打ちされた、2人の警官は足でめん棒を踏んで徐さんの右足をぐるぐる押さえた、手錠をはめて眠ることを許さない。
4月21日に徐家玉さんは富拉爾基の長城飯店1階の東側の富区刑警3中隊の密室に連行されて中の鉄椅子に座らせ、オートバイのヘルメットを被せられた。後ろ手に手錠をはめられ、雑誌で顔を打たれた。午後また便所に閉じ込められると、便器に縛られ、警官に高圧の水道水を浴びせられた。深夜両手を反らして便所の中でつりあげた。不法に拷問、拘禁して4月22日午後まで、富拉爾基の留置場に拘禁した。
4月25日午前に徐家玉さんは一団の警官に奇襲された。警官は徐さんを牢獄のドアから回廊まで呼んで、背後から突然黒い布をかぶせた、彼女は足にぴったり合わない靴をはいたまま1台の車にのせられて、富拉爾基の郊外、後庫勒渡村の公安支局の秘密尋問室へ連行された、一緒に持って行った鉄の椅子と休暇村の東廂房北山の三角形の物を支え滑車はすべて刑具で、3中隊隊長の梁剣飛はまた指を挟む、足指を挟む刑具を自身で持っていると公言した。富拉爾基の公安支局副局長の栗という人は用心棒達を指図して、一息だけ残ればいい、刑事警察の副隊長の李という人は全過程を画策した。
4月26日晩に徐家玉さんはまた警官に黒い布をかぶせられて大きい木板で叩かれ、鉄のもので土踏まずをかかれた。警官は、それから東廂房北山の三角形の物を支え滑車にぐっと引っ張ってつりあげると、大きい木の板で追いかけて打った。人は打たれて回転していたが、次に地面に下ろすと、革靴を履いた警官が徐家玉さんの顔を踏んだ。再び大いに掛けて、また大きい木の板を使って打って、下ろすなり中庭の中に引っ張っていき鉄の椅子に座らせ、冷たい水をかけた。更に部屋にぐっと引っ張っていくと反対に椅子を背負ったままになる、またぐっと引っ張っていき庭の中で鉄の椅子に引き続き座らせ、再び冷たい水をかける、このように何度も繰り返す。4月29日に徐家玉さんはまた警官に不法に富拉爾基の留置場へ拘禁された、迫害された体は傷つけられてすでに紫色になった、両腕はすべて持ち上げることができない。
2002年7月に徐家玉さんはまた不法に竜江留置場へ拘禁された、そして秘密に裁判された、竜江裁判所は開廷する時、徐家玉さんの親族と職場に知らせていない、弁明を許さない、いいかげんにお茶を濁した。2003年1月21日に徐家玉さんは不法に黒龍江女子刑務所まで連行された、1監区で迫害を受けた、刑務所は受刑者を利用して法輪功修煉者を監視し、1監区で徐家玉さんはいつも受刑者にののしられ、警官にプラスチックの板で顔を打たれた、3月9日に監室へ拘束されて「厳しく管理」、小さいプラスチックの腰掛けに座らせて受刑者に監視され、動くことを許さない、この期間またスピーカーで最高の音量にして、騒音で体を傷つける。
2006年12月27日に徐家玉さんは新しく成立した13監区へ送り届けられて「転化」を強いられた、毎日朝6時〜夜9時、大法を誹謗するビデオを強制して見せたり聞かせたりする、警官は受刑者を指図して車輪戦術を使い、いわゆる「四書」を書くことを強いて、強行して信念を放棄させる。警官は受刑者に厳密に徐家玉さんを監視させ、眠る時に足が曲げさせない、次に13監区副大隊長の賈文軍は夜中に彼女と話をする。徐家玉さんは休む権利さえ剥奪された。徐家玉さんの夫は重病で入院している期間、警官と受刑者は家族の情を使って「転化」を脅迫した、徐さんの夫が亡くなった後に、彼らはまた刑務所が数万を出して徐の夫に手術したと言うデマを飛ばした。2007年5月20日に邪悪は徐家玉さんを「転化」できずに、3監区に転送して引き続き迫害している。
2008年7月5日
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2008/7/1/181254.html)
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