日本明慧
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同修に、内に向けて探すよう呼びかける

(明慧日本)師父は説法され始めた当初から、私達に対して、修煉者は内に向けて探し、自分を修めるよう説法なさいました。しかし、残念なことに、正法が最後の段階に入った今になっても、本当に着実に内に向けて探せる同修はまだまだ限られています。大法弟子として皆、師父は私達を救いに来てくださったのであり、私達は師父の説法に従うべきであると理解していますが、なかなか実行できません。

 少し前に「明慧週刊」で、ある同修が『内に向けて探す習慣を身に付けよう』をテーマとする文章を投稿しました。私はこれを読んで印象深かったことは、この同修は着実に修めていると感じたことです。どのような習慣でも、いったん身に付くと、それを変えることは難しくなり、知らないうちに習慣通りにやってしまいます。常人でも、「三つ子の魂百まで」という言い方があります。ですから、もし私達大法弟子が皆、修煉という道において常に内に向けて探すという習慣ができれば、修煉もそれほど難しくなくなります。邪悪に乗じられる隙もなくなり、修煉の向上も早くなります。

 法を正す今日の最後の段階において、師父は大法弟子において存在する最大の問題について指摘されました。「現在存在している最大の問題は先ほど私が言ったこの問題でもあり、つまり自分を修めることができず、内に向けて探すことができないということです。」(『二〇〇八年ニューヨーク法会での説法』)ですから私はここで、心の底から同修に対して、内に向けて探し、自分で修煉者であることを常に忘れないようにしよう、と叫びたいです。耳に痛い話も聞かなければならないし、苦痛の中、矛盾の中、妨害の中で自分自身の人心を探し出すことを良いことと見なし、すべての向上するチャンスを無駄にしてはなりません。時間も多くはありません。師父の要求された基準に合格できるように努力しましょう!

 2008年7月6日

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2008/7/4/181391.html