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二言三言:自我から抜け出す


 文/ハルピンの法輪功修煉者

(明慧日本)以前は三つのことをやる時、修煉状態が良かったら喜び、良くなかったら喜べませんでした。自分は修煉に対してとても重視し、とても気にかけて、向上し精進していると思っていました。今日、師父の『オーストラリアの学習者に対する説法』を復習して、ビデオを見ているうちに、豁然と自分の状態は精進しているわけではなく、別の形で自己に執着していたのだと分かりました。

 例えば、朝の煉功は、早く起きることができたら得意満面ですが、寝過ごしたとき、まだ1時間余り煉功することができるのに、とても気落ちしてしまい、自分は意気地がないと思い、起きなくなり、引き続き寝てしまうのです。6時の正念の時間でも起きたくありません。気分の良いとき、特に法を学びたいと思いますが、そうでない時は学びたくありません。資料を多く配ることができたら喜び、多くなければ気落ちして喜ぶことができませんでした。真相を伝えて、三退してくれたら喜び、三退してくれなければ喜ぶことができませんでした。

 師父の教えによって悟り、内に向かって探すことを通して、自分の行ったすべては皆「自我」をめぐって回転しているのに気づきました。すべてが「自我」の悪循環から抜け出していませんでした。煉功は自分のためで、法を学ぶのも自分のためで、資料を配るのもやはり自分のためでした。 

 師父は「修煉は自分が自我に対する執着を取り除くことにほかなりません。」とおっしゃいました(『アジア・太平洋地域学習者会議での説法』)。今悟ったのは、自分の修煉状態を執着するのも自我に対する執着であり、「私(し)」のものであり、修煉して取り除くべきものです。私達が法を学び煉功することは自分を高めるだけではなく、さらに衆生を救う能力と才能を高め、邪悪を一掃して、衆生を救う神通力を使えるようにして、さらに師を助け法を正すことができるのです。

 個人の体得ですので、正しくないところがあれば、同修の慈悲なるご叱正をお願いします。

 2008年7月7日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2008/7/5/181471.html