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師父の抜歯についての説法からの悟り


 文/チチハル市大法弟子

(明慧日本)1993年7月16日、師父は私達のチチハル市に来られて、大法の講習会を開催されました。私は幸運にもこの講習会に参加することができ、この日から私は人生の中で最も意義ある返本帰真の道に踏み出しました。15年来、学法と心性修煉の向上につれて、大小の魔難により心身を煉磨した後、私はますます大法の奇跡、大法の奥深い精髄を感じました……。限られた紙面ではありますが、師父のチチハルにおける説法15周年記念に際して、私は抜歯に関する説法について個人的な体得を話します。

 師父はチチハルに来られて、「抜歯」について言及されました。当時チチハル市の私を含むたくさんの人は、何度も龍沙公園の2番ゲート辺りであの南方人の抜歯薬師と出会ったことがあります。彼の露店に積まれた歯は山のようにあり、今なお目の前にあるように思い出せます。しかし当時どうしても、この抜歯が、深い大法の法理を包容していると思いませんでした。

 抜歯する人は古代の民間薬で歯を抜きます。表面上では、「抜歯」の説法はただ古代民間の薬が近代医療手段に勝るという法理を釈明するだけなのですが、しかしこの中から私は、この法理が私達の現代科学の観念を打ち破った上に、また「無」が「有」に勝つという高い法理を含んでいると悟りました。あの水薬の黄色の気が頬を隔てて根強い歯をぬいてしまう、あれは他の空間を通ったからです。目に見える近代の精密機器は、この空間では人を苦しめ、無理矢理に歯を抜きます。比べて見ると歯を抜く者も抜かれる者もつらいし、馬鹿げていることだったのです。

 私達は本日の正念で邪悪を消滅することを連想し、私は大法弟子の発正念が「抜歯」の水薬の黄色の気が歯を抜くのと同じ効果があると悟りました。あの濃厚な黄色の水薬の気は人の肉眼で見えませんが、しかしそれは頬を隔てて歯を攻撃して抜きました。私達の大法弟子が発した正念も同じく人の肉眼で見えないものの、山川を越えて、高い壁と鉄の柵を隔てて、目に見える一切を隔てて邪悪を消滅し、取り除くことができます。しかも正念は濃厚な黄色い水薬のように強ければ強いほど威力があります。私達が邪悪を消滅するのはトラの口から歯を抜くように危険に見え、見た目は非常に苦難に満ちています。しかし私達の無形の正念は黒い手、悪党の邪霊、乱鬼などを徹底的に消滅することができます。この威力は近代戦争の中にある飛行機、ミサイルなどと比べられない物で「進めば則(すなわ)ち萬萬物と成る可し 退けば全ての無永く是謎」(『洪吟二』)の奥深い境界を現しています。

 本日、師父のチチハル説法講習会15周記念に際して、この体得を書き出し、同修たちが邪悪の持つ国家機関と政権を重大視しないように希望します。あの邪悪はただの数本の歯に過ぎず、集まって強く見えるだけです。私達がともに強大な正念を発して、他の空間で邪悪の根を折り、砕き、大法を実証し、徹底的に邪悪を解体しましょう。

 以上が体得であり、妥当でないところには、同修のご叱正をお願いします。

 2008年7月8日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2008/7/1/181259.html