日本明慧
■印刷版   

四川省:法輪功修煉者・李正霊さんが迫害されて死亡

(明慧日本) 今年42歳の四川省古藺県の法輪功修煉者・李正霊さんは、2004年12月に連行され、不法に5年の刑罰を言い渡された。四川省徳陽刑務所で迫害されて両目とも失明し、自力で生活ができなくなった。2008年6月24日、古藺県太平の派出所は家族に、李さんはすでに成都双流警察病院で死亡したと通知してきた。

 李正霊さんの妻・洪世ペイさんと母親が双流警察病院に駆けつけると、李さんの全身はシーツにきつく包まれ、顔面は腫れて腐り始めているように見えた。刑務所側は李さんが治療に協力しない為死亡したと言い、最後に顔を見るだけで、撮影は駄目、細かいチェックも禁止、直ちに火葬すると命じた。ただ家族に見せるだけで、強行に火葬してしまった。家族に死亡時刻も言わず、救急措置の状況をも知らせなかった。さらに死亡報告も連絡方法も何も与えられなかった。

 李さんの遺体が強行に火葬された後、刑務所側は骨つぼを家族に手渡して、そのまま立ち去った。家族は事情を知らされず、しかたなく骨つぼを古藺に持ち帰り「麒麟山」に預けた。

 法輪功修煉者・李正霊さん(別名・李二娃)は、1964年10月9日生まれ、四川省古藺県出身。1983年に塩源武装警察部隊を退役した後、古藺県漢方薬草会社(太平営業所)に勤め、古藺郡東昇街に住んでいた。その後リストラされ、太平と貴州省習水の境で薬屋を開業して生計の道を立てていた。李さんは1996年より法輪功を修煉し始め、心身ともに恩恵を受けた。

 悪党のグループが1999年7.20、公然と法輪功への迫害を開始した後に、李さんはかつて四川と貴州の境にある太平渡の「長征大橋」に行き、集団煉功の活動に参加した事があったため、貴州習水県の醒民区派出所、古藺太平郡派出所の警官に連行され、不法に習水刑務所に拘禁された。当時、習水公安局、醒民派出所、古藺太平派出所の警官らは別々に家族に8千元(合計2万4千人民元)を強請った。さらに金を出せば釈放すると公言したものの、3日後に李さんを土城へ移送し、不法に労働教養処分3年を科し、その後貴州清鎮労働教養所に拘禁した。

 李さんは各種の残虐な拷問を受けた。 独房に監禁、酷使、立たせる、手錠をはめて吊り上げる、めった打ち、電撃など。李さんは屈服せず、修煉を堅持したため、苦しめられ、きわめて衰弱した状態で、さらに拘禁された。

 李さんは2002年12月、家に帰って、太平地区で石炭の商売を営んだ。2004年 12月28日、古藺公安局の刑事警察の大隊長・鄒強が6人の警官を連れて太平まで駆け着け、不法に李さん宅を家宅捜索した後、李さんを古藺留置場へ連行した。その時李さんは迫害されて左目を失明した。県病院の眼科の検査により、重病のため服役中の一時出所の条件に符合したが、しかし「610弁公室」は出所を許可せず、さらに刑罰を下そうと企んでいた。

 2005年8月8日、李さんが悪党の悪人らに不法に5年の懲役を下され、四川徳陽刑務所(黄許郡95工場付近)に移送されて引き続き迫害を受けた。

 2006年4月に刑務所が家族に危篤の知らせを出した後、妻・洪世ペイさんと弟の嫁・邱菊芬さんが徳陽へ行った。李さんは入院して緊急措置を受け、全身が腫れていた。強行に灌食されたため、口、顔、鼻の損傷がとても目立っていた。尿道に管を挿入され、話をしてもぼんやりしていた。警官らはただ30分間の面会しか許さず、李さんを連れて帰る事を禁じた。

 2007年10月、家族が徳陽刑務所で面会した時、李さんの顔色が悪くやせこけていて、両目ともに失明しており、自力で生活できないことが見てとれた。家族は李さんの釈放を求めたが、刑務所側は、「転向しないかぎり、釈放することはできない!」と言われた。結局李正霊さんは最後に迫害されて死亡した。

 (注:法輪功修煉者を迫害している主要な責任者らの情報は、中国語のページを参照)

  2008年7月11日

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2008/7/10/181772.html