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元の派出所の副所長・慈保森さんは信念を堅持するため不法に拘禁された

(明慧日本)湖北荊門石化会社の法輪功修煉者・慈保森さん(50歳前後男性)は、もとの湖北荊門石化の月亮湖派出所(今の湖北荊門公安局月亮湖の支局)の副所長。慈保森さんは法輪大法に対する信念を堅持するため、現地の警官(もとの同僚)に不法に逮捕されて拘禁され、現在湖北荊門の石化工貿ホテルの洗脳クラスに拘禁されている。

 法輪功修煉者・慈保森さんは1999年7月から北京へ陳情に行って真相をはっきり説明していた。当年10月に現地の「610弁公室」に強制連行されて、そして不法に湖北荊門の虎牙関留置場に拘禁された。現地の「610弁公室」は慈保森さんを重点的な迫害対象者として、3年の不法な労働教養をすることにし、湖北襄樊の鄧林労働教養所に送った。2000年、鄧林労働教養所は慈保森さんを湖北の沙洋労働教養所に送りいわゆる転化を行って、そして同じ年に早めに釈放され家に帰った。

 出てきた後、比較的ゆったりする環境の下で、慈保森さんは法を学ぶことを通じてすぐにいわゆる転化のペテンとおかしいことを意識した。現地の610弁公室は慈保森さんが目覚めることに対して大いに恐れ慌てて、そして至る所にわざと困らせた。表面で慈さんを出勤させて、実際には毎月ただ200元の生活費を支給する、また理不尽に慈保森さんの勤続年数の申請を拒絶した、その当時に荊門石化会社は慈さんの妻・李洪娥さんの仕事を除名した。その時慈保森さんの息子と娘はまだ中学生で、支出はとても大きくて、生活は苦難に満ちていた。2001年の後半、慈保森さんは人身自由の制限と経済の切断の2重の圧力の下で、妻を携えて生活のため働くことで数十年、家を離れてアルバイトに行った。しかたなく2人の高校の息子と娘とも離れた。

 慈保森さんと妻・李洪娥さんは2001年に家を離れてから生計のためにずっと外で放浪生活をしていた。ネット上で夫妻を注目する同修は行方不明の知らせも掲載したことがある。2008年5月の下旬、荊門石化の不法な人員は山東から慈保森さんを捕まえて帰った。不法に湖北荊門の虎牙関留置場で1カ月以上を拘禁して、今慈保森さんはすでに湖北荊門の石化工貿ホテル(もとの1招)の洗脳クラスまで移転した。

 (注:法輪功修煉者を迫害している主要な責任者らの情報は、中国語のページを参照)

 2008年7月12日

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2008/7/9/181748.html