忙しい現状から抜け出して神の念で時間を扱う
文/中国大陸の大法弟子・説縁
(明慧日本)過去の1年間、私はずっと忙しい状態に陥っていました。最近になってやっと抜け出すことが出来ました。同修に忙しいため良くない状態が現れてきたのを見て、漸く皆さんに自分の体験を交流しようと思いました。
私はネット上の編集をしています。毎日文章の整理やページの更新をします。また、毎日、主な記事を読者に送ったりもしています。毎日の仕事の量は少なくとも4、5万字、多い時は10万字以上を校正します。文章ごとに必ず1回はざっと読み、誤字、誤った句読点、文法、諺の引用の間違いなどを直してから、ネットにアップロードしていきます。過去の1年間、殆どこれらの仕事に縛られて他のことには手が回りませんでした。いつも明け方の3時まで校正し続け、食事を摂る時間すらありませんでした。時々、朝、顔を洗ったかどうかも忘れるほど忙しく、コマのように回転し続けていました。もちろん、学法は哀れなほど少なく、煉功は殆ど行っていませんでした。結局、頚、肩の痛みから始まって、マウスをクリックする度に指に痛みが走るまでになり、左利き用のマウスに調整していました。暇取ったばかりでなく、問題解決にもなっていませんでした。以来、毎日サイトに投稿する読者に嫌気がさし始め、校正待ちの新しい文章が届くのを見ると、腹が立ってしまい、恨みがましい気持ちでいっぱいでした。自分に話しかけてくれる人に八つ当たりしていました。気を遣って、私にお茶を出そうとした人にさえ酷く当たったりしました。しかし、いったん仕事が終われば、全てはまた正常に戻り、気持ちも穏やかになるのでした。日が経つにつれ、私が仕事をする時、誰もが憚って近づいてきません。自分は心性が守れなかったことを知っていながらも、山積みになっている仕事を見るや否や逆上してしまい、自分は修煉者であることを忘れてしまうのでした。
母(同修)が私と交流しました。これは妨害だと指摘し、正念を発して取り除こうと言いました。時々、母は私が疲れているのを見て、正念を発してくれたりもしましたが、これといった効果が得られませんでした。
その後、自分はネット掲載の番をしているだけではよくない、大法には沢山の他にやるべき仕事があると認識し始めました。徐々に、頚、肩、指の痛みが和らぎ、少し良くなってきた時、仕事に入ってしまうと深夜まで終わらない可能性があるため、また、仕事を終えても疲れ切っていて、本を読む気力がないので、仕事の前にまず、本を読むようにし始めました。毎日起床後に直ぐ本を読み、終わってから仕事のことを考えました。
法を学んで悟りました。大法弟子は責任感が強いはずです。仕事に対して、多少に関わらず、責任を負わなければなりません。しっかり仕事をやり遂げなければなりません。仕事の量が多いだけで腹が立ってしまい、そのような恨みがましい気持ちが生じてはなりません。そこで、正念を発することにしました。怒りや恨む心を取り除き、安逸を貪る心を取り除き、仕事がいくら増えても穏やかな気持ちで向かう決心をしました。また、内心に一つの良くない考えが潜んでいることも見つけました。自分だけが大変な仕事を抱えており、周囲にいる人は私に手助けをしてくれてもいいのではないか、どうして手を拱いて見ていられるのかという不満な心、待つ、頼る心もありました。これらの心を見つけて、直ちに正念を発して一掃しました。
師父は大法弟子を神にしてくださると説かれています。そこで、あることを悟りました。旧勢力の按排を認めないことは旧宇宙の全てを認めない、旧宇宙の要素による妨害に制御されないことです。師父は「皆さんが修煉の中で神に向かい、認識から徐々に人間を超え、生命の圓満成就と昇華という目的に達するために、私は皆さんを導いているのです」とおっしゃいました。(『法を正す中で必要なのは正念であり、人心ではない』)そこで、仕事を始める前に、正念を発して、仕事の妨害に参与する黒い手と卑しい鬼を片付け、旧勢力の妨害を取り除いて、これらの按排を認めない、そして仕事をもっと効率よく出来るように師父に加持を求めました。私は仕事をする時間を決め、心の中で考えて、その日の仕事は2時間以内に必ず終えます。誰にも邪魔されません。私には時間の制御などないなどと自分に言い聞かせました。そうすると、以前、6、7時間もかかっていた仕事が本当に2時間以内で完成しました。
あれから、毎日このように行い、仕事の効率も上がり、本を読む時間が持てるようになった上、煉功する時間もできました。さらに、母の家事の手伝いまでできるようになりました。健康状態も元に戻り、1カ月経った頃、肩の痛みが完全に消え、怒る心や恨む心、安逸を貪る心、待つ心、依頼心などの沢山の心を取り除きました。すると、仕事も楽しくなり、状態は徐々に良くなり、師父は私が神に近づくために前へ一歩踏み出すのを手助けしてくださったのが分かりました。
この経験から、大法弟子は旧勢力を否定することは、ただ言葉だけに留まってしまうのではなく、実際に実行することだと分かりました。正しくない状態が現れたら、その原因を突き止めるためによく反省し、表面ばかり見ないで、深く掘り下げて、内に向かって自分の根本的な執着を探るのです。
もう一つ悪い癖があります。それは真面目に正念を発していないことです。時間になっていても、手元の仕事が離せず、心の中でもう直ぐ時間だ、後1、2分で終わる、そしたら「楽」に、「気にせず」に正念を発すればいいと思いますが、往々にして、その時に限って、何か問題が出るのです。パソコンの反応が遅くなったりもします。5分が経ち、やっぱり無理だと分かって、仕方なくやめるのですが、正念を発する時の最初の自分の空間を整理する時間がいつもなくなって、てんてこ舞いをしてしまい、心が鎮まらないので、正念の効果もなかったのです。後悔ばかりしましたが、正念を正しく発していないため、その後の仕事も邪悪に妨害され、悪循環の結果に陥っていました。
この問題について交流したのは、一つには、自分が今後二度とこのような過ちを犯さない決心をするため、もう一つは、類似する同修に注意を呼びかけるためです。必ず正念を発することを重視しなければなりません。特に、仕事がとても忙しくて、ごたごたしたことが多い時には、尚更、正念をよく発すべきです。邪悪を取り除けば、有利になります。常人に「研ぎ師は木こりを遅刻させてはならない(事前の準備が必要)」という諺があります。要するに正念を発する時間には、必ず仕事を置いて、心を鎮め、正念に最も大きい威力を発揮させたいものです。
ここで、明慧の同修の皆さんにご挨拶をしたいと思います。編集の仕事をしているため、明慧の仕事に携わっている同修が苦労されていることはよく知っています。時々、投稿した文章が1日、2日が経っても掲載されないことがあります。無責任もいいところで、だらしないと思うかも知れませんが、実は、当日に掲載することは本当に難しいのです。皆さん考えてみて下さい。大陸で最低何千万人もの大法弟子が明慧を利用して交流しています。全ての原稿の質は誤字、文法の誤りのない、しかも法理にかなっている文章であることを保証しなければなりません。即ち、全ての文章を読み尽くさなければならないのは本当に大変です。投稿した同修は時間内に掲載されていない、あるいは採用されてないことにご理解くださるようお願いいたします。
私は法を得て間もなくの新しい弟子です。個人の次元に限りがあるので、妥当でないところは、同修のご叱正をお願いします
2008年7月13日
(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2008/5/4/177740.html)
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