日本明慧
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内に向かって探し、全体を円容する


文/海外大法弟子

(明慧日本)修煉の道では、普通常人から魔難がやって来ることがありますが、時にはまた同修間に摩擦が現れることもあります。しかし内に向かって探しさえすれば、自分を修めて、魔難をきっと乗り越えることができます。「7・20」前、私の感覚では、同修の間は最も信頼できる、最もうち解けた環境でした。しかし「7・20」より大法が迫害されてから、旧勢力が海外の同修との間に大きい間隔をつくり、新しい学習者と新しく出てくる同修に大きな影響を与えています。

 海外に留学した後、私はいろいろ思案して現地の同修と連絡をとり、早目に現地の全体の修煉環境の中に溶け込みたいと望んでいました。しかし最初の頃、同修間ではお互いを知らず、そして自分の修煉状態があまり精進してないため、時には同修にスパイではないかと疑われることもありました。希望にあふれた最初から、打撃を受けて落ち込み、心の中はとても苦しくて、さらに恐怖心も起こりました。当時同修に説明しようと思いましたが、はっきりと説明できず、反って事情をややこしくする恐れがあり、その上同修は皆すべて各自のプロジェクトに参与しているので、全体的な修煉環境に影響をあたえると望ましくないと考えました。

 時に甚だしきに至っては、永遠に現地の修煉環境から離れて、独自に寮の中で修煉しようと思っていました。しかし、さらなる学法を通じて、私の修煉は別に自分がスパイではないことを実証することではなく、私は法を実証しにきたので、自分の何かを実証することは必要がないと思いました。ここまで思い付いて、私の考えが豁然と明晰になり、自分がどうすればいいか分かってきました。

 師父は、「ですから、疑われている学習者は皆領事館に行って、街に行ってチラシを配り、最も需要のあるところに行って、世の人々を相手に直接真相を伝えてください。とりあえず具体的なことに参加しないでください」(『アジア太平洋地区学習者会議での説法』)と説いておられます。

 ここまで悟って、気持ちは大分落ち着くようになり、そして積極的に法を実証するプロジェクトに参与しました。だんだんと同修が私に対する疑惑を解消し、全体的な修煉環境の中に溶け込むようになりました。今年、私と似たような経歴を持つ大陸の同修が私たちの学法グループに来た時に、私は法理から自分なりの手助けをして、同修に難関を乗り越えさせ、全体の向上をも後押ししました。

 絶えず学法と実際の法を実証する活動の中で、「内に向かって探す」ことと「全体的に向上する」ことの重要性を深く感じました。今年の「神韻祝賀祭」は裏方として努め、「神韻芸術団」の役者の弟子達は、舞台で純善純美の演出をするほか、同時に裏でも細かい雑事をしていることに気付きました。その上彼らは特に内に向かって探すことを重視し、自分を修め、舞台上と舞台裏にも関わらずいかなる不足が現れても、すべて内に向って探し、このような内に向かって探すことは全体的なものになっていました。私は彼らが法を実証するためにした事を見て大変感動しました。公演の前に、彼らはずっと綿密にリハーサルをして、出番の前15分、彼らはいっしょに法を覚えて読み、『論語』を読みました。この純粋な場は私を激励し、私はきっと法に従って自分を高めようと決心しました。

 師父の正法の勢いは絶えず前に進み、正法も最後の最後になり、大法弟子は自分を修めると同時に、堅固な全体をつくることも極めて重要です。同修の個人の修煉状態が全体の修煉基準に達したら、大法弟子の強大な全体のエネルギー場と正念は、きっと邪悪を凌駕することができます。師父の2001年の『米国フロリダ州での説法』の中に、「全ての学習者は必ず自分の責任をはっきりと認識し、正念を発する時に本当に心を静かにして、本当に正念の作用を働かせなければなりません。ですから、これは極めて肝心なことであり、極めて重要なことです。もし全ての学習者が皆このようにできれば、皆さんに教えますが、同時に正念を発するその5分間で、邪悪は永遠に三界内に存在しなくなります」といわれました。

 そして最新の『二〇〇八年ニューヨーク法会での説法』の中で「すべてのついてきていない人、消極的になった人、不平たらたらの人、他の人に対してひどい不満を持っている人、佛学会の人ばかりを見ている人はいずれも、自分自身を修めたくない人で、外に向けて修めています」と弟子に警告しておられます。自分の修煉状態を照らし合わせて、師父の説法は自分の修煉の不足を指摘されていると分かりました。自分は時に消極的になり、時には「他人が自分を理解することを望む」執着の心を放下していません。大法弟子として、私達は普通の常人とは違います、私達は「苦しみに耐えて業を消し、トラブルの中で心性を高め、最終的に全体が円満になる」法理を分からなければなりません。そのため、今後の修煉の中に、私達は皆絶えず自分の執着心を放下し、内に向かって探し、全体を円容し、全体を向上させ、早く迫害を制止させ、円満成就することを期待しています。

 偉大かつ慈悲なる師父、ありがとうございます,同修各位ありがとうございます!

 合十!

 2008年7月14日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2008/7/5/181408.html