法を圓容することと家庭を圓容することは本質的に異なる 文/大陸の大法弟子
(明慧日本)同修と交流する時、ある同修は「家庭を圓容する」ことに言及しました。その意味は家庭のことをよく按配してから、しかるのちに大法弟子のするべき事を行うというのです。聞くと、とても正しいようですが、私は師父が私達に教えてくださった、法を圓容し、家庭のことにバランスよく対処するという内容の法理しか覚えていません。
私は過去に何度も、家庭を圓容するために修煉をだらける状態が現れ、常人の心に動かされ、精進しなくなったことがあります。今日心を鎮めて悟りましたが、このような認識は出発点に問題があります。法を圓容するというのは、私達は大法弟子として必ずしっかり正しく行うべきであり、世間の人に大法のすばらしさを見せ、衆生を救い済度するためであって、決して常人の必要なものや常人社会に執着するためではありません。
大法弟子は何かをするとき、法を第一義に置くべきで、さもなければ関係を正しくすることがでず、甚だしきに至っては自分の求める仮相の中で見失ってしまい、幾万年の機縁を失ってしまうのです。
2008年7月14日
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2008/7/12/181919.html)
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