日本明慧
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瀋陽の法輪功修煉者・陳玉梅さんが迫害され死に至るまでの詳しい状況(写真) (日本明慧)遼寧省瀋陽市の法輪功修煉者(女性)の遺体はすでに、2008年7月6日に火葬された。陳玉梅さんは7月3日夜、大東区長安派出所の悪辣な警官により暴力的に連行され、殴打されたことにより意識不明のまま7月4日夜死亡した。年齢はまだ48歳だった。
陳玉梅さんは、瀋陽市大東区滂江街の223番の万泉団地に住み、夫と共に東祥食品雑貨店を経営し、車庫を管理して生活を維持していた。2008年7月3日夜7時半ごろ、陳玉梅さんが外出すると間もなく、自宅の団地近くで、瀋陽市大東区長安派出所の警官に連行された。悪辣な警官は彼女に対して殴ったり蹴ったりしたため、その場で陳玉梅さんは意識を失った。その時多くの通行人が、警官の暴行を目撃し証言した。 夜9時20分頃、大東区の公安支局の長安派出所の警官は、陳さんの自宅に来て、陳玉梅さんが、意識がぼんやりして倒れたと知らせ、ドアの外の120番の救急車の中で、家族に確認するよう求めた。陳玉梅さんはその時すでに意識不明になっていた。 家族が陳玉梅さんを病院に送って行くのと同時に、これら残忍非道な警官らは陳玉梅さんの家(団地の自転車の駐車場)をぐるりと取り囲み、一群の警官は家族の出入りを許さず、不法に家財を差し押さえ、ノートパソコン・1台、DVDプレイヤー・1台、及び数千元の現金を奪った。
陳玉梅さんはその日の夜、空軍の463病院に送られ、診断の結果、脳血管の大量出血で、すぐに手術をしなければならなかった。4時間の手術を経た後、陳玉梅さんは重症病棟に送られたが、ずっと人事不省の状態にあった。 家族は陳玉梅さんの腕や足の上部に、青や紫の傷をみつけ、地面に深刻な擦り傷をつくった痕跡を見つけた。殴打されたために脳血管から大量に出血したことを見抜くことができ、その時医者は打ったのだと言ったが、あるものは、ぐっと引っ張ったため転んだと言った。 病院は20時間余りの緊急措置をとったが、依然として良くなるように見えないので、もう手の打ちようがなくなった。陳玉梅さんは7月4日夜8時30分頃、冤罪が晴れないまま死亡した。緊急措置のための費用が2万元近く掛かったが、これはもともと質素な生活をしていた陳さんの家にとって、さらに大変な負担となった。 1人の健康で善良な人が、このようにして24時間もしないうちに、邪党の悪辣な警官らに生命を奪われてしまった。7月5日、コミュニティの人々は陳さんの家に100元のお金を持ちより、供養をするという。 7月6日、家族は陳玉梅さんの遺体を火葬し、出棺する時は小雨だったが、多くの町内の隣人が見送りにきた。当日の午前、2台のマイクロバスと1台の黒の乗用車が陳さんの家から遠くないところで止まり、1人の私服警官が下りて陳家に来ると、陳さんの夫を追及した。 家族は直接警官を問いただし、多くの大衆はやじ馬見物をした。大衆と家族は警官に対して、不満に思うことを強烈に抗議し、陳家は誰もが認める良い隣人で、法輪大法を学んでからは心身を受益している。警官は理に合わないことがわかり、がっかりして逃げた。 その後、家族は長安派出所に行き、当日の詳しい情況を尋ね、警官の回答で対立した。事件の発生地点さえ二つの異なる場所(東盛の団地と江東団地)を言い出すなど、明らかに、彼らは責任を逃れようとしている。 陳玉梅さんの人となりは温厚篤実で、正直で善良な彼女は法輪功の修煉を堅持し、邪党人員の迫害に何度も遭った。2002年前後、陳玉梅さんはかつて邪党人員に思想改造施設で迫害され、彼女は断食して抗議し、思想改造施設から脱出した。陳玉梅さんの夫も、かつて不法な労教の迫害を受けた。聞くところによると、最近、陳玉梅さんの東祥食品雑貨店の近くにスパイがいて、法輪功修煉者が既に追跡されたという。 長安派出所は、99年7月20日から、その管轄内の10数人の大法修煉者に対して、絶えず迫害を行い、不法に労働教養、刑罰を下すなど、罪悪を重ねている。絶対に道義の懲罰から逃げることはできず、世の中の正義の懲罰からも逃げることはできない。 (注:法輪功修煉者を迫害している主要な責任者らの情報は、中国語のページを参照) 2008年7月16日 (中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2008/7/13/181938.html) |
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