同修を助けることは自分の向上の過程でもある
文/大陸の大法弟子
(明慧日本)最近、私のいる地域のある同修が深刻な病業状態に陥っており、どのようにこの同修を支援するか、同修達の態度はそれぞれ異なっています。当面の真相説明に時間が足りない緊迫状態で、衆生済度を妨げることなく、どのように同修を助けるかについて、明慧ネットには数編の切磋琢磨した文章がありました。ここで、現地の情況を踏まえて、の認識をお話しします。
現地の「病業」に陥った同修は、大法が迫害されているこの数年間、ずっと大法を守る最前線で堅持していました。彼女はかつて何回も拘禁され、邪悪から見ると、彼女は1人の「有名人」です。この同修はとても親切で、誰か同修が迫害されると、彼女はいつも危険や苦労も顧みず、あちこち動いて救出に全力を尽していました。
今年の初め、この同修は深刻な病業状態に陥り、生命が危うくなりました。どのように同修を助けるかに対して、みんなの意見はそれぞれ違っています。かつて彼女に助けてもらった多くの同修は、これは彼女自身に漏れがあって隙に乗じられたので、自分が向上しなければならないと思っています。ある同修は彼女を助けるべきだと分かっています。しかし、彼女の家に行って発正念することができない、彼女にも自宅に来ないで欲しい、そこで自分の家で彼女のために発正念をすると言いました。ある同修は、自分の家は彼女と近いので、自宅での発正念と彼女の家に行ってするのと同じだと思っています。ある同修は、家族全員が修煉者であり、時に1人を「代表」として行かせます。またこういう人もいます。自分は彼女を助ける事ができますが、自分自身の事を妨げることはできません。これらの話をした人たちは、ほとんど以前彼女に助けてもらったことのある同修ばかりです。現地では、今なおこの同修に対して有効な救援がなされていません。同修は今もなお難関から脱出していません。この魔難に陥った同修は明慧週刊に載った「旧勢力は同修の生命を奪うことはできません」の文章を読んで独りで涙を流し、「私の周りにこのような同修はいませんか?」と苦しそうに話しました。
私達は巨大な難関の中にいる同修を助けなければならず、私達は一つの全体であり、人を済度することを妨げないことを前提に、同修を助けることを段取りする事も可能です。ただ、同修たちは恐怖心と安逸心に阻止されて、上記の話をしたのだと思います。この同修は邪悪に迫害されている「重要人物」であるので、彼女の家に行って発正念するのは「危険」だと思い、彼女の家に行って学法するより自分の家でする方が安心だ、このような心があって、どのように彼女の事を自分の事とすることができますか? 数年来みんなが一つの全体を形成していないため、私達の中に長期にわたり「病業」の魔難に陥っている同修が何人もいます。私達は麻痺した感覚の中で、どうしようもないという思いの中で、旧勢力に一つ一つ撃破されています。同修たちよ、目覚めましょう、私達は一つの全体です!
自分の奥深くに埋まっている心を探してみましょう。どんな心が私達に同修を助けることを重視させないのか、神への道を歩む人は小心翼翼で、私利私欲をむさぼるのでしょうか? 実は、同修を助けることは自分を高める過程でもあります。私達には何もできないかもしれません。すべて師父がしておられますので、私達は同修が正念で立ち上がるのを手伝うだけです。師父はまさに私達の正念を求めておられるのです。
2008年7月22日
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2008/7/15/182083.html)
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