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執着心が膨張する危険性について(一)

(明慧日本)法を実証する項目がますます増えるにつれて、神韻芸術祭のチケット販売も忙しくなり、法を正す進展が最終段階に入り、さらに修煉者に対する要求も高くなったと感じました。そのため、私も自分自身のいろいろな執着がさらに目立つようになったと感じました。いかにして、この厳しい修煉の道において正しく歩むべきか、それは、私が最近、自分の執着心が膨らんでいる危険性を感じて、修煉は進まなければ後退することになり、今後これ以上落ちることのないよう、ここで書き出して皆さんと交流したいと思います。

 由来

 私がこの交流文を書き出した由来は、ある同修のアドバイスに始まりました。私は、この同修のアドバイスを通して、自分の隠れていた執着心に気づき、さらに一部の執着心は膨張し続け、もし今後も膨張し続けるのであれば、修煉者にとって非常に危険であることに気づいたのです。その意味で、私にあアドバイスをくれた同修に感謝しています。

 最近、私はある同修と一緒に、同修たちの良くない修煉状態について交流していたとき、この同修は突然、私に対して「あなたが他人の受けている魔難について話すとき、あたかも非常に爽快のようなイメージを与えてしまいます」と言いました。私はそれを聞いて本当に驚きました。私はどうして人にこのようなイメージを与えてしまうのでしょうか。恐ろしいのではありませんか。しかし、この話は本当に私にとって警告となりました。私は、この同修と何について交流したのかはあまり覚えていませんが、この話は長い間、私の脳裏を彷徨っていました。私は長い間、自分の執着心を徹底的に取り除いていないので、同修たちが私に警鐘を鳴らしてくれたに違いありません。

 顕示心

 顕示心とは、私個人の修煉における最大の執着心です。また、私は常に努力をして取り除こうとしていますが、きれいに取り除けない執着心です。私が最初に修煉し始めたころ、師父は夢の中で、この問題についてはっきりと啓示してくださいました。ある非常にはっきりとした夢の中で、皆さんが師父を囲んで座っていて、師父は皆さんに説法されていました。師父の横の机に、大きな表彰カップが置かれていました。説法の後、師父はこの表彰カップを持って、誰かこの表彰カップが欲しい人はいますか、と聞かれました。私と私の右にいた同修だけが立ち上がって、欲しがっていました。私は師父に一番近い所に座っていたので、師父はこのカップを私にくださいました。

 その時、まだ自分は非常に幸運であると感じ、師父からカップをもらって喜んでいました。そこで私は小声で、師父に「なぜこれを欲しがらないのですか」と聞くと、師父は皆さんに対して「修煉者としては、これらの常人社会における名利は要りません」と言われました。私は表彰カップを持って、そこでずっと何を言えば良いか分からず、悔しく立っていました。私は、表彰カップを欲しがっていた隣の同修にカップをあげようと思いました。しかし、師父は「もらったのなら、もらいなさい。しかし、執着心を放下してください」と言われました。

 目覚めてから、師父は私に対してどんな執着心を取り除くよう啓示を与えてくださったのか、まだ分かりませんでした。夫が私の夢の話を聞いてから、「考えてみてください。本当に師父から表彰カップをもらったとすれば、あなたなら世界中に見せびらかすでしょう。師父があなたにその強い顕示心を取り除くよう説法されているのではないですか」と言いました。

 その時から、私はこの強い顕示心を取り除くよう決意しました。しかし、長年、どうしても取り除くことができず、しかも、さらに強くなったような気がしました。

 私は文章や交流文を書くときも、強い顕示心が現れてしまいます。同修が、自分の交流文や書いた文章を読むのが好きとか、なぜもっと交流文を書かないのか、交流文が非常に感動的だった、などと言われると、私の心は動じられ、特に交流文を書いて皆さんを励ましてほしい、あなたは協調人だからあなたが書いた方が良い、と賞賛されると顕示心が明らかに強くなってしまいます。それがゆえに、他人の良くできていない修煉状態を見て、自分としては相手を見下したり、自分が相手より良くできているなどという言動に走ってしまいます。

 (つづく)

 2008年7月22日

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2008/7/10/181786.html