日本明慧
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本当に内に向けて探すこと

(明慧日本)正法はまもなく終わろうとしています。時間は残りわずかです。私達がどのようにしてこの瞬く間に過ぎ去っていく短い時間の中で、自分をよりよく修めることができ、より良く衆生を救えるのかについて、集団で法を学び、法の中に溶け込み、そして師父の経文「眞修」、「さらに執着を取り除く」を学び、経文の深い法理を悟り、真に内側から不足を探せるようにできるようになりました。

 修煉して長年経ったが、私を含めて、周りの同修たちも内に向けて探すようになりました。しかし、たくさん法を学ぶことで(法理を実際悟ることであり、ただ法を読む回数の問題ではない)、私達の地区の同修たちが本当に内に向けて探すことができているのではないことに気づきました。常人の部分がまだ非常に強く残っていて、さらに気づかれないようになりました。

 師父は説法の中で、それらの真に修めない人を見つけ出すと説法なさいました。ですから、修煉の道において起きたすべてのことは偶然ではありません。皆、私達が向上する要素が含まれています。真に修める大法弟子として、まずは真を修める、すべての一言にしても、着実に行い、口を修め、本当のことを言わなければなりません。師父は『洪吟』の「眞修」で、「心に眞善忍存して 法輪大法成る 時時(つねに)心性を修すれば 圓滿(成就)して妙なること窮まり無し」とおっしゃっていました。着実に自分を修めることは、毎日着実に修めることであり、たくさんの同修は、私は毎日三つのことをしている、と言っていますが、その三つのことはどの角度からどの次元において行っているのかを考えてみるべきです。師父はかつて、常人も大法のことを行うことができると説法されました。もし、ある同修は法を学んだが、法に基づいて真に自分を向上させることができなければ、その同修は常人であり、常人が大法のことをしても威徳はありません。ただの福報を得るにすぎません。しかし、大法弟子は福報を得るために来たのではありません。ですから、必ず内に向けて探し、あらゆる良くない心を見つけ出さなければなりません。これこそが法の中に溶け込むことになります。問題に出くわしたら、ただちに自分の内を探さないで、どうやって向上するのでしょうか。それでは、永遠に向上できません。難が来たら、それと直面しないことは、真に修煉する修煉者の状態ではありません。

 最近の修煉を通して、自分の向上は非常に早いと感じました。本当に、「人心凡重なれば洋を過ぐること難し」(『精進要旨二「心自ずから明らか」)という説法の通りです。良くない人心をすべて取り除いて、真に内に向けて自分を修めてから、初めてより良く衆生を救うことができるようになります。

 2008年7月24日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2008/7/12/181917.html
(英語:http://www.clearwisdom.net/emh/articles/2008/7/19/99083.html