日本明慧
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修煉団体の環境の中に毎日溶け込む


文/大陸の大法弟子

(明慧日本)各種の原因で、私は毎日の集団学法に参加することができません。同修達との交流も毎月数回に留まっています。私は戸惑った後に、早く奮い立つことができますが、完全に私が毎日読んでいる明慧ネットのおかげです。毎日たくさんの同修の体験を読んで、毎日修煉団体の環境の中に溶け込んでおり、毎日「小さい法会」に参加しているようです。その上、たくさんの精進している同修と切磋琢磨することもできます。

 ある同修は、毎日明慧ネットを読むための時間が足りないと言っています,私の理解では時間を割こうと思えばできるのです。私の時間はこのように配分しています。仕事が終わって、帰りにインスタント食品をついでに買います。家に着いたらスープあるいはおかゆを作ったり、おかずもでき上がったものを買ったり、作りやすい物を買うなどします。もし私が一人で食事するならば、ほぼ毎回麺をゆでて塩をつけ、あるいは帰り道に焼餅、肉まんじゅうを買って、水を飲みます。いつもインスタントラーメンをたくさん買って家に置いておきます。そうすると、帰り途中の時間を省くことができるからです。家に着いた後に、まずパソコンをつけて、それからご飯を作ります。仕度に10数分しかかかりません。私の食事は、ほぼパソコンの前で済ませます。先に当日の明慧ネットの文章を一気にダウンロードして、それから食事しながら読みます。もし当日の分がまだ更新していなければ、その前日の文章を読みます。私にとってとても啓発があり、或いは自分がすぐに全部理解できない、あるいは論争の部分があると判断した文章を単独でフォルダに保存して、時間がある時に出して推敲します。このよう方法は、私にとても有益になりました。ある文章は何回も見たので、その一部分を覚えてしまいました。

 私は食事をするのが速いです。文章を読みながら食事をするので、いつ食べ終わったのかも分かりません。食べ終わったら茶碗をパソコンの机の上にそのまま置きます。当日の明慧ネットを読み終わるのに、約1時間かかります。それからパソコンを閉じて、食器を片付けます。このように大体食事を1回とるのと同じ時間で、当日の明慧ネットを読み終えることができ、あまり長く時間を取ったと感じません。

 よい文章を読んでいると、私も自分の体験を書き出そうと思いました。毎回文章を書くときも、私にとって確実な修煉の過程です。次第に、私は自分が法理の上でますますはっきりと認識していると気付き、正念もますます強くなりました。私の文章も、明慧ネットに発表される確率がますます高くなり、『明慧週刊』にも採用されました。毎回発表された後に、私はすべて注意深く一通り読んで、自分の文章と照らし合わせます。編集者に訂正された文字を、そのまま元の文章の同じところにコピーして、さらに赤文字に変更して注意するようにして置きます。繰り返し編集者の同修が改正する意図を推察して、訂正後の部分は更に厳密、更に純潔、法理も更に明晰になると感じました。このようにして、自分の文章を読んでいることは、内に向かって自省する過程であり、再度向上する過程にもなります。同時に、同修たちの訂正した文字の中に、深い慈悲と愛護を感じました。ある時、私の書いた文章の中には自分自身を咎める部分が多すぎで、同修がその部分を削除しました。それを読んでから、私は師父の広大たる慈悲と同修の善意の理解に深く感銘して、ひっきりなしに泣いてしまいました。

 まだ、『明慧週刊』の文章は、編集者の同修が一週間分の明慧文章の中から抜粋し、当時の正法の形勢に合わせて、同修たちの修煉を指導することができる文章ばかりだと分かりました。毎回週刊が出たら、私は入念に読み、いつも新しい理解が得られます。ですから、もししばらく明慧ネットにアクセスできない同修がいたら、よく『明慧週刊』を読めば、とても有益になると思います。

 弟子達がいっしょに法会を開いて交流し合うことは、師父が示された修煉の道です。今、私達はいつも一緒にいることはできませんが、それゆえ、明慧ネットが私達の交流するよいプラットフォームになります。さらに、文字の形で交流すると、もっとも理知に適って、構想が更に明晰になると思います。明慧ネットは師父が認めてくださったものです。

 この文章を書きだして、同修が明慧ネットを重視し、修煉の道を正し、早く向上すよう望んでいます。

 適切でない部分は、同修からの慈悲なるご叱正を望みます。

 2008年7月25日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2008/7/17/182144.html