日本明慧
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安逸心を求める心は修煉者を台無しにしてしまう

(明慧日本)夜、一つの夢を見ました。自分が非常に高いところから深遠に落ちて、下はまるで海のようで、さらに一歩下に進むと、そこには破滅しかありませんでした。このとき、天上から一枚の布が落ちてきて、私はその布をつかんで懸命に叫びました。「師父よ、私は自分が間違っていると知っています。どうか、もう一度チャンスをください」と叫びながら、私は夢から覚めました。しかし、脳裏には師父の説法、「それらの落ちてしまった人に対して、師父はずっと心を痛めています。多くはこの心に動かされて、つぶれていった人なのです。(『法を正す時期の大法弟子』」が何度も浮かんできました。

 私は、それは安逸心を指していることを知っています。私は最近、修煉の状態が悪く、特に夏になってから、毎日帰ったらベッドに横たわって、扇風機をつけ、学法やその他の大法資料は、すべて横になって読んでいました。煉功も負担となってしまい、毎日少してもできません。真相を伝えることも、以前ほど積極的にやらなくなりました。法理において、苦を嘗めることは修煉の向上につながる良いことだと分かっていながらも、発正念で安逸心を取り除こうとしましたが、あまり効果はなく、常にある種のものが妨害していると感じていました。夜の発正念も少なくなり、この種の安逸心が、私の修煉と衆生を救うことを妨害していました。個人の円満成就すら難しくなり、自分の救われた命たちも行く先を失ってしまう、という危険な状態になってしまいました。師父が、私達を地獄から救ってくださったのであり、いまだにあの夢のことを思い出すと恐ろしく感じます。これ以上、安逸心を取り除こうとしなければ、自分自身に対して無責任だということになります。常人が武術をやるときですら、夏は真夏日に、冬は最も寒い日にやるという言い方があります。私はこれ以上の安逸心の重要性について認識できなければ、後悔しても間に合いません。

 師父は、「苦を嘗め難に遭うことは業力を取り除き、罪を除去し、人体を浄化し、思想境地と次元を高める絶好の機会であり、大変良いことです。これは正しい法理です。」とおっしゃいました(『最後になればなるほど、精進すべき』より)。師父は、済南で説法されたとき、うちわで扇ぐ人がいて、師父は、苦を嘗めたくても嘗められないとおっしゃいました。しかし、自分の千年もの間に形成された人間の理では、どうしても気持ち良さを求めたがってしまい、これでは円満成就できません。救われた衆生も行く先がありません。強すぎる常人の心の要素が、旧宇宙の要素によって拡大され、円満成就できなくなってしまいます。

 この文章を書き出したのは、夢の中で「同修の○○さんも、私と一緒に落ちてきた」と出て来たので、他の同修にも、このような安逸心があれば共に改善し、最後になればなるほど精進しましょう。

 2008年7月26日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2008/7/21/182437.html