日本明慧
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心を修煉と人を救うことを置いて初めて正念が生じる


文/大陸の大法弟子

(明慧日本)最近、地元の同修と、いかに三つのことを良く行うかについて交流しました。以下に私の体験を書き出します。

 一、もの事に対する法理上の認識は、人によって悟りも異なりますので、私達は皆、自分の観点をあまり強調しすぎないようにし、私達は皆、他人の悟りを受け入れる度胸を持つべきだと思います。認識の違いがあるのがよく見られることで、肝心なのは自分を実証せず、自分が良くできたと思わないようにすることです。言葉は良くないかもしれませんが、ずばり自分が偉いと思って、どうしても他人を変えたがる人がいます。もし、あなたは「たとえ自分が正しくても、他人と論争せず、依然として黙々と皆に奉仕し円容する」ことができたら、実際、大法が乱れを消滅し、不正を正す能力を持っていますので、すべて良くなるはずです。

 肝心なのは、自分の心をいかに放下し、いかに対処するかということです。師父は、いかなることをも私達が向上するために与えておられるので、あなたはどれだけ良い事だと思っても、いかに神聖な事だと思っても、すべて私達が向上する助けとなります。神は、私達の心がどのように動じるかを見ています。削除されたウェブサイト上の発言も例外ではありません。1999年に迫害が始まる前に、師父の経歴紹介を読んだ時、「師父は人に弁解することはありません」という言葉が私にとても大きな影響を与えました。実に、法理における交流は「内包を悟れるが、言葉で言い表し難い」のです。高い次元の修煉になると、一部は法理上の交流ができないものだと感じました。一言を異なる人が言い、異なる人がまた違う理解を持ちます。すべて、本人の次元での認識に過ぎず、言う人は自分の次元の内包を話し、聞く側は理解も異なります。

 三つのことをどのように行うかについて、法理上の交流は問題ありません。大法は非常に広大で、非常に玄妙なので、言葉で表せないものです。私達はただ大法の中の一つの粒子であり、すべては師父の苦心によって按配されたものとだと思います。しかも、私達はすべて師父の按配の下で一歩ずつ高まっていくのです。これは、ただ一人が毎日「私は内に向かって探す」と唱えるだけで向上できるのもではありません。実は個人の向上は、自分が心地よくない、不愉快だと感じることの中から高まったものです。私達の悟性を、本当に良く向上しなければなりません。

 よって、ここで、法理上で論争することを控え、よく法を勉強し、いかに協力して三つのことを良く行うことができるかについて力を入れるよう望みます。

 二、他の人を多く咎めることをしないでください。最近、同修たちが「あなたは内に向かって探すべき」などの言葉を用いて他の人を咎めていることに気づきました。このように言うと、他の人は返す言葉もなく、弁解の余地もありません。誰でも「あなたは内に向かって探すべき」と言っているので、間違いないはずです。しかし、なんとなく慈悲たる心からの声には聞こえません。その上、他人を咎め、他人を変えようとする意味合いが強いのです。こうすると神聖とはいえません。だから私はあまり同修に対してこの言葉を言いません。寺の中で真に修めていない和尚も、毎日「仏さまが衆生をあまねく済度する」と唱えるだけであまり神聖でなくなるのと同じです。あなたは内に向かって探すべきと言ったら、この人はかならず内に向かって探すのですか? 言わないと、人が「内に向かって探さない」のでしょうか? 私達の向上は師父のおしゃった法理、大法の要素のおかげです。決して、私達個人が他人を高めさせることではありません。ただ人に勧めるあるいは師父が私達の口を借りて相手を啓示されるだけです。自分がどれほど偉いのかと思わないでください。もしそう思っているならば、これこそ向上するべきところです。

 三、一部、具体的な事に対しては、小さい範囲内で問題を解決すればよいと思います。学習者全体の広い範囲で論争し、広がらないようにし、広範囲の学習者にまで波及させないようにしてください。不安が広がって全体に対してもよくないと私は思います。

 四、本当に良く修めている同修は、おそらくあまり自分を表現したくないでしょう。自分を実証しないで黙々と奉仕する人、黙々と修め、三つのことをしっかりと行い、とても謙虚な大法弟子です。

 最後に、師父の『転法輪』の中の説法を引用します。『法はここまでしかお話しできません。さらに高いものは皆さんが自分で修煉して会得しなければなりません。質問の時間に、ますます具体的なことを尋ね、生活上の問題さえわたしに解決を求める人がいますが、それではあなた自身は何を修煉するのですか? 自分で修煉し、自分で悟らなければなりません。わたしが全部言ってしまえば、あなたの修煉するものがなくなります。幸いに大法(ダーファ)はすでに世に公にしましたので、大法(ダーファ)に基づいて実行すればよいのです。』

 以上は個人的な次元での悟りです。

 2008年7月29日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2008/7/22/182487.html