差別する心と慈悲心
文/大陸大法弟子
(明慧日本)今日、用事で地元の公安局に行きました。しかし、警察官を見ると気分が悪くなってきました。結局、順調に事を運べなかったのに、多くの時間が余分にかかってしまいました。内に向かって探して、私がどこかで正しく行わなかったのかとじっくりと考えてみると、自分はずっと一つの「差別する心」を持っていることに気づきました。警察官を普通の人間として見なしておらず、心の中で彼らをすべて悪人のように思って憎悪していました。実際は、私に接した警察官は普通の警官であり、法輪功修煉者を迫害したことがないかもしれません。しかし、私は大法のために来たこの生命に対して慈悲心が少しもありませんでした。これは修煉者として行うべきことでしょうか? さらに深く探せば、この差別する心の背後には汚い利己の心があります。自分に不利であれば排斥し、逆に自分の観念にかなえば顔をほころばせる。これはすべて自己中心のためでした。
さらに探せば、自分は常に学校でも同じように行っていました。三退について真相が分かった人たち、あるいは自分に優しい人たちと付き合いたかったのです。共産党の党文化に深く毒された人に心から嫌悪を感じていました。甚だしきにいたっては、彼らの運が悪い時には秘かに心の中で嬉しく感じ、このような人は何をやってもついていないはずだと思っていました。彼らがまだ救われていないことを悲しんだり悩んだりしてはいなかったのです。慈悲心が本当に少しもありませんでした。
私は師父のことを思い出しました。師父は全ての衆生に対して慈悲を持って対処し、全ての衆生のために多く耐えられました。それでも、一部の衆生は依然として大法に対して罪を犯しています。しかし、師父は大法を壊そうとするスパイにも慈悲を持って対処しておられます。
こう考えると、私はこのよくない差別する心をどうしてもなくしたいと思いました。その後、町の中に赤い腕章をつけている人や警備員、警察官あるいは党文化に深く毒された人に会うと、いつも慈悲心を持って対処し、本心から彼を祝福し、彼らに明るい将来があるように希望しています。
実は、差別する心をなくし慈悲心を持って衆生に対処すると、衆生は救いやすくなることに気づきました。例えば、ある日恋人同士の中学生2人がバスで軽い言動をしました。最初に私は「こんなに小さいのにどうしてこんなことを」と心から彼らのことを憎悪しました。考え直してみると、この態度は慈悲ではないと自省しました。正念を発して、彼らが救われることを阻む邪悪な要素を取り除き、心に慈悲が満ちました。その後、女の子と一緒にバスを降り、彼女に「三退」のことを伝えました。彼女は嬉しそうに共青団から脱退しました。またある日、一人で町の中を歩いている女の子に会いました。彼女の全身に赤いまだらがあり、とても怖かったのですが、私は差別する心を克服して彼女に話しかけ、彼女を三退させ、しかも「法輪大法は素晴らしい」を読むことを教えました。彼女は真剣に覚えました。
またある日、一人の中年男性が乞食をしていました。彼の顔に欠陥があり、体にも欠陥があり、鼻、口が半分だけありました。初めに彼に会った時に私は彼を見ていられませんでしたが、2回目に会った時、私は世の人々はみな普通の人ではないと思いつきました。彼も大法のために来たのです。こんな顔つきでありながらも、無量の衆生を代表しているかもしれないと思うと、うづくまっている彼に真相を書いた紙幣を渡し、少先隊を脱退させて、紙幣の上に書かれた「法輪大法は素晴らしい」を読むことも教えました。
我々は差別する心や利己心をなくし、慈悲心がいつもある状態に達した時、初めて衆生を救い済度する巨大な役割を果たすことができるようになるのです。
2008年8月5日
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2008/8/5/183474.html)
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