迫害で両目を失明した蔡常珍さんの救出を呼びかける
文/武漢の大法弟子
(明慧日本)中国共産党はオリンピックの名目の下、法輪功に対して、気が狂ったかのように迫害を開始した。2008年7月19日、武漢市の6人の警官は、2台の車で橋口区関水工場二路宿舎に乱入した。70歳近くの両目を失明している蔡常珍さんと、もう一人の高齢者が家から連行されて、額頭湾の洗脳クラスに送られ、迫害を受けている。
法輪功修煉者・蔡常珍さんは、2001年初め、橋口支局の警官・金志平らから迫害を受けて両目を失明した。
2008年8月、橋口支局一科の警官は蔡常珍さんを連行し、橋口区額頭湾の洗脳クラスに拘禁した後、蔡さんの家財を差し押さえた。当日警官は、蔡さんを2階に監禁して、両手を裏返しにし、つま先だけが地面につくような状態にして、鉄製のダブルベットの上に吊るした。全身の重量が裏返しにされた両腕にかかり、我慢が出来ないほどの痛みに襲われた。1時間以上吊るされた後、蔡さんの目から水が流れ始めた。朝8時から昼12時まで吊るされてようやく警官は下ろした。このときの蔡さんは、残酷な拷問で目は充血し、まぶたは垂れ下がり目が開けられない状態だった。
吊るしの刑から下ろされた直後、支局一科の科長・金志平が、自分の手で強制的に蔡常珍さんをエアコン処に押し込んだ。前はエアコン、後ろは扇風機、上からは吊るされた扇風機を使って更に部屋を冷たくした。その晩から蔡さんは寝ることを許可されず、そのまま20日間以上酷い迫害を受けた。その間少しだけ椅子に座ることができた。橋口支局一科の肖幹支は、再び、蔡さんを毎晩吊るして数日間拷問した為、蔡さんは気絶した。それを見た警官は彼女の右ほほを平手打ちした後、起き上がらないのを見て下ろした。また、警官・肖幹支は、蔡さんの右側の頬、及び頭部を強く殴った。蔡さんは殴られて目を覚ました時、頭にひどい痛みを感じた。それ以来、蔡さんは時々頭痛を感じ、視力もだんだんと落ち最後には何も見えなくなってしまった。
2001年、洗脳クラスに不法拘禁されていた蔡常珍さんは、突然頭にひどい痛みを感じ、右目も痛み始め、数日後には完全に失明した。頭部の右半分も少しずつ知覚を失い始めた。以降、警官は蔡さんを他の修煉者と一緒に工読学校へ移し迫害を続けた。警官は蔡さんを武漢同済病院へ連れて行き検査を受けさせた。家に帰った後も、蔡常珍さんの頭は時々痛んだ。
2002年9月23日、蔡常珍さんの左目も突然失明し、何も見えなくなった。それから生活は完全に自立出来なくなってしまった。心身共に大きな損傷を受け、精神的な圧力も非常に大きく、言葉では言い尽くせないほどの辛さである。息子と嫁は毎日仕事の忙しさに追われ、子供の面倒と、両目を失明した老いた母親の面倒も見なくてはならず、中国共産党は家族に巨大な損失をもたらした。
2002年9月31日、橋口支局の警官は、再び蔡常珍さんを連行しようと車でやってきた。警官がドアをたたいた時、蔡さんともう一人の修煉者が家にいたがドアを開けなかった。その時、家族や庭で麻雀をしていた人たちは手を止めた。彼らは警官が法輪功をしている善良な人を捕まえに来たことを知っている為、全員で集まってきた。警官は分が悪いと感じ撤退した。再び迫害されることを逃れるために、蔡常珍さんは、家を離れざるを得なくなり路頭に迷う困難な生活を強いられた。
2003年1月7日午後2〜3時、警官は再び家にやってきた。部屋に入り何も話さず、蔡常珍さんを橋口額頭湾洗脳クラスに連行し不法に1週間拘禁した後、家に帰した。
我々は、連合国人権組織に、中国共産党から迫害を受け不法拘禁され、両目を失明した法輪功修煉者・蔡常珍さんの救出を呼びかける。自由な国の善良な人々に、迫害を制止させ、迫害を問い詰め、法輪功修煉者たちに人としての権利を返すよう呼びかける。
2008年8月25日
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2008/7/28/182949.html)
(英語:http://www.clearwisdom.net/emh/articles/2008/8/16/99876.html)
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