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口を修める、特定の食物を断つ、不殺不養についての感想


文/黒龍江省大法弟子

 (明慧日本)正法時期に於いて、大法弟子は真相を伝え衆生を救い済度しながら、自身の修煉と心性を高めることも怠けてはいけないと思います。「3つの事」の中でこれは最も大切なことです。明慧日本に「3つの事」をめぐって同修の交流文章がたくさんあり、とてもいい内容です。

 私の周りのよく一緒に法理の交流をする同修の中に、漸悟状態にある同修が何人かいます。長い間一部の同修が、口を修める、特定の食物を断つ、動植物を殺さず養わず、の方面でよくできていないため、修煉と高次元への邁進を妨害されたのを見て気になりました。そして、もっと多くの同修と交流できるよう文章に書いてと勧めてくれる同修のおかげもあって、とうとうこの文を完成させました。

 口を修める

 常人社会の事に構わないようにと大法の法理で、はっきりそういわれています。それを守っていない時は修煉の次元が落ちます。ある年配の同修の例を挙げます。妻の弟が職場での不満を彼に訴え、この同修は妻の弟に職場でどう戦うかをアドバイスしました。交流の時、ある漸悟状態の同修が(他空間の光景が見えて)この年配同修に、何か間違った事をしなかったかと聞いたら、彼は、ずっと家で学法をしていてどこにも行っていないよと答えました。更に、よく思い出してみてくださいと言われた彼は、妻の弟に悪いアドバイスをしたことを思い出しました。こちらの空間では何も感じられませんが、他空間には変化が現れています。

 またある女性同修は些細なことで同修である夫に対し怒りました。夫はしっかり心性を守って彼女とけんかをしませんでした。何日間後、ある漸悟同修に会ったら、最近間違った事でもしたの?功がひどく落ちたよと聞かれました。彼女は、本当に我慢できなくて夫を罵ったと答えました。後で分かったのですが、その後3ヶ月経ってやっと、彼女の功はもとの状態に回復したようです。彼女は普段とても精進しており、3つの事がよく出来ています。しかし、人を罵ったら挽回するには3ヶ月の苦労を必要とします。「心性の高さは功の高さ(『転法輪』第1講)」で、師父の話は絶対の真理です。

 ある漸悟同修が、バス停で乗客が乗務員を罵っている場面を目撃しました。他空間では一塊一塊の白い物質が乗務員の体に落ちている光景が彼の目に映りました。我々の地元に天目が開いた小弟子(中学生)がいます。ある日、学校の教師は突然彼女が気に入らなくなりよく彼女を叱り、学生達もよく彼女を非難していました。教室で彼女が両手で耳を塞いだ時、一塊一塊綿のような白い物質が自分の頭に落ちてくるのが見えました。教師と学生達は私に良いものをくれているのだ!全部もらいましょう。もう怒りません、と彼女は思いました。家に帰ると、大きな法輪が目の前で10数分間回るのが見えました。これは師父が自分を励ましているのだと分かりました。

 修煉の次元が高くなるにつれ、修煉者が持つエネルギーも大きくなりますので、口を修めることにもっと注意しないといけません。他空間では善の念を生じると善の物質が生まれ、悪の念を生じると悪の物質が生まれるのです。軽く物事に定義を下すことをしないでください。正念を発する時、一念で他空間の悪を取り除くことができ、この一念の力はとても大きいのです。時に私達の行動は常人を動かすこともできます。例えば市場で買いものをした時、私はある野菜を買いました。私が買う前は誰も買っていませんでしたが、私が買った後、いきなり多くの人がやってきて、みんなこの野菜を買ったという現象がありました。とても不思議です。同修もこのような経験があると言っています。

 特定の食物を断つ

 特定の食物を断つということに注意をはらわず、自然に任せるという同修がたくさんいて、結局、功の中から(このような食べ物を食べてから良くない結果が)反映されて、やっと注意するようになります。しかし、功に反映しないで修煉者に悟らせる場合もあります。師父は確かにネギ、ショウガ、ニンニクは火が通ったら食べてもかまわないと言われましたが、現在、私達に対する法の要求は高くなっていると思います。異なるレベルに異なる基準があります。ニラを入れる焼きナンが一番好きだけど、食べたら胃が痛くなるのは何故かと言う同修もおり、また、ニラ入りギョーザが一番好きなのに、食べたらどうして下痢をするのかと言う同修もいます。下痢をするまでになってもまだ目が覚めずまだ悟らないのですか?!もしちょうど同修の家がニラを食べる所に行き合わせたとしたら、猛烈な匂いで部屋に入ることさえ嫌です。 

 師父は説法で何でも教えていますが、実行できてこそはじめて修煉になるのではありませんか。一部の同修はまだたばこを吸って酒を飲み、一部の同修はまだマージャン、トランプ、将棋で遊んでいます。例えマージャンなどで賭け事はしなくても時間は無駄に流れ、3つの事に絶対支障をきたすでしょう。一部の嗜好は修煉の初期にやめるべきなのですが、長年修煉してきて、またぬるま湯のように自分自身に厳しく要求もしなければ、どのようにして次元を高められるのですか。一部の同修は3つの事をしっかり行なっていますが嗜好の執着は取り除けなく、修煉次元の向上に深刻な影響を与えています。漸悟同修には、ニラを食べると自身の空間がすぐ暗くなって外来の妨害を受けやすい環境に変わり、たばこを吸う同修の空間場は薄暗く、その場が他の同修を深刻に妨害しているのが見えました。つまり、他の空間で修煉して出来た身体は深刻な影響を受けています。深刻な執着心を抱えればずっと1つの次元で徘徊し高めることはできないのです。そして、ネギ、ショウガとニンニクは他空間でも良い物質ではなく、体の浄化を妨害するのです。同修と一緒にいるとその同修にも影響したりします。これら生臭い物どころか、師父は、豆腐でさえいつも食べるとだめになるとおっしゃいました。「世の人がよい香りと思っているものは向こうではいやな匂いなのです(『2008年ニューヨーク法会での説法』)」。

 殺さず養わず

  殺生しないことは、多くの同修が実行できます。時に不本意な殺生であっても、自分の修煉に妨害が生じます。ですから修煉はとても厳粛なことでいい加減にしてはいけません。数年前の秋、ある同修が、中庭で保存するために買ったハクサイをネズミに齧られたことでとても怒り、同修が経営する雑貨屋でネズミ駆除剤を買おうとしました。彼女は「ネズミ駆除剤をください」と言い、経営者の同修は彼女に薬を売りました。ちょうど私を含めて何人かの同修がその店に居合わせ、これは殺生になるのではないかと私は思い、彼女を止めました。家の保存野菜がネズミに齧られどうしようと嘆く彼女と、私達はいっしょに交流しました。最後に彼女は、野菜が齧られたことには何か因果関係があるのかもしれない、どんな原因でも殺生してはいけないと悟りました。家に帰った後彼女は黙々と祈り、結局ネズミは去ってハクサイは無事に保存できました。しかし、2年が過ぎて、また同じ現象が現れました。今回、彼女は祈っても効かないので、とうとう我慢できずに駆除剤を買って撒きました。ネズミは薬を食べると体を縮め垣に寄って震えました。彼女は?といえば、彼女もベッドに体を縮めて同じように震えました!また口から食道までヒリヒリとして痛み、7日経ってようやくベッドから降りることができました。これでどのようにして3つの事を実行するというのですか!実はこれは当時造った業力を返しているのです。もちろん、修煉者であれ誰でもいろいろ事情はありますが、しかし、よくない生命に対しても、修煉者は決して殺生してはいけません。

 園芸の趣味を持つ同修もいます。花や草で家中いっぱいにして、枝を切ったり虫を駆除したりして、何年経っても足の痛みがずっと治りません。双盤が出来なくなって単盤にし、今度は単盤も我慢できなくなりかけていますが、原因がずっと分かりません。漸悟同修が見たのは、彼は足に元々業力があり、他空間でまた多くの枝が足に挿さっているので、痛くないはずがありません。これは、自分の言動を大法に照らし合わせること無く、不必要に邪魔された事例です。いつも常人と見比べ、自分が達すべき基準に照らし合わせないからです。もしあなたが農民であれば耕作したり除草したりするのは正常なことですが、自分の趣味のためにそうしたら執着心に当たります。

 多くの常人が猫、犬、カメ、魚などのペットを飼っています。修煉者は、修煉しない家族に対してもペットを飼わない理に基づいて説得しないといけませんが、私の周りに、家族全員が修煉者でありながら、しかもペットを飼う家庭があります。同修の家に行くと、飼っている子犬がすぐ起き上がり、2本の前足を合わせて私を拝みます。とても異常です。数年前、私の姉の家で1匹の猫を飼っていました。夜、姉が座禅する時、猫はすぐ外から帰って姉の足元に横たわります。ある日、猫がまだ帰ってない時、姉は突然猫の頭がトラの頭のように大きくなった光景を見ました。これで悟ってその猫を遠い地方の親戚にあげました。

 「邪党の赤色」を見捨てる

  最近国内で、屋根一面を赤い材料で覆う不動産が流行っているようです。赤い自動車、赤い商品、赤い広告など、赤色が至る所に見えます。私達大法弟子は自ら中国共産党の赤色を拒否して、普段意識的に赤色を使用しない、邪悪の赤色に頭数を足さないように注意しましょう。例えば家の屋根を赤色にしない、赤い車を買わない、赤い洋服を買わないなど、大法には全て説明してあるので、どのように実行すべきかの問題です。「邪党の赤色」には他空間で邪悪な要素が存在しています。2007年、2008年の新唐人新年祭はいい例です。そのような世界を驚かせる完璧な芸術にほとんど赤色の衣装を使用せず、色はすべて自然かつ調和的な色で、善と美を尽くしています。 

 邪を招かない

 もちろん大半の同修が「邪を招かない」ことの重要性を知り、断固として実行していますが、きわめて少数の同修はまだ宗教を信じる常人と付き合いをしています。正法時期に、悪い神は不正のものをコントロールして大法弟子を邪魔しようとします。修煉者が、正念が弱く頭がぼんやりして宗教を信じる常人の言ったことを少しでも認めたら、それはすぐに修煉者の邪魔をすることができ、彼らがくれた生活用品にも宗教のものが付いています。

 また、正念を持って労働教養所から脱出したある同修と交流したことがあります。

 当時彼女は何人かの「転向」した「ユダ」に毎日囲まれて説得されたのですが、ずっと「ユダ」たちの言ったことを全面的に否定し続けました。最後に、彼女が無条件で釈放された時、「ユダ」達は親切ごかしに彼女にパンを渡しました。彼女はパンを受け取った時、頭が「ぶん」として、とても嫌な感じがしました。そこで彼女は、パンはもらうけど、あなた達の考えはいっさい受け入れません、と言いました。これで「ユダ」達の品物に邪なものが付いていることが分かりました。他空間では本当にそうです。宗教居士がくれた物品に本当によくないものが付いています。宗教関係の旅先で買った数珠やペンダントなどにもよくないものが付いており、妨害されていても原因が分からない人もいます。

 個人の些細な悟りで、間違いのある所は慈悲なるご叱正を仰ぎます。

 2008年8月26日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2008/7/7/181615.html
(英語:http://www.clearwisdom.net/emh/articles/2008/7/21/99130.html