法輪功修煉者・譚志陽さんの死体に刀傷 文/湖南の大法弟子
(明慧日本)湖南省湘郷市の法輪功修煉者の譚志陽さんは、9回も中国共産党関連のメンバーに不法に連行・拘禁・迫害されて、2008年2月19日、36歳で亡くなった。譚さんは常徳武陵刑務所で迫害によってまさに死ぬ寸前となった。体中傷だらけで、特に腰に刀傷が出来ていた。刑務所側が家族に本人を迎えに来させた2日後に、譚さんは冤罪が晴れぬまま亡くなった。
譚さんが亡くなる1ヶ月前、親族が常徳武陵刑務所へ譚さんを見舞いに行った時には、譚さんは腰のあたりの調子がとても悪いと言っており、体中傷だらけだった。アナリストによると、譚さんは生体から腎臓を摘出された可能性が大とのことである。
譚さんが亡くなった後、湘郷市「610弁公室」は親族を脅し、譚さんの消息を外へ漏らさないよう強いた。さもなければ「国家機密漏洩罪」で裁くと脅かし、しかも厳しい尾行・監視を行っていた。譚さんの母、楊香蘭さん(60歳あまり)はしかたなく流浪生活を強いられ、法輪功を修煉していない譚さんの父も家に帰る勇気がなくなった。
2008年3月から、中共のスパイは法輪功修煉者の名義で湘郷市の各所を回り、“譚志陽さんはすでに刑務所から釈放済みで、今はどこかに行っている”と誤魔化した。そして譚さんと母の楊香蘭さんを助けるためだと偽り、法輪功修煉者の家に行って消息を尋ね、さらに再び母であり法輪功修煉者でもある楊香蘭さんを連行しようと企んでいる……。
1999年7月、譚さんは悪らつなメンバーに不法に家宅捜査され、10日間拘留された。2000年3月、譚さんは北京へ陳情に行き、不法に45日間拘禁されている。同2000年、譚さんは2度目の北京陳情の途中で不法逮捕、再び45日間拘禁された。2001年1月18日(旧正月の直前)に賀国平、羅呂光らの悪らつな警官らは、隙に乗じて譚さんの60歳あまりになる母を不法に強制連行、留置所で3ヶ月間拘禁し、その後600元をゆすって釈放した。
2001年3月、譚さんが湘潭県まで避難したところ、待ち伏せしていた悪らつな警察に騙され、家に不法に突入・連行された(湘潭市雨湖区雲塘派出所、湘潭県7里舗留置場まで移送)。さらに残虐な拷問の苦悶と人格的侮辱、精神的圧迫を強いられた。賀国平はライターで譚さんのあごと下半身を焼いた。2ヶ月あまり不法に拘禁された後、譚さんは無理やり労働教養2年間の処分を科され、湖南省新開舗労動教養所でも迫害を受けた。
2002年11月、譚さんは労動教養所を出て来た後、「自分が過去に強制されて承諾したことについて、すべて無効とする」という厳正なる声明を書き、「610弁公室」と勤め先の上司の前に手渡した。そのことがきっかけで再び賀国平に不法に拘留され、しかも15日間以上の監禁に処された。悪らつな警官は、譚さんの両手を後ろに回して反対側に手錠をはめ、ペンチを使ってねじをきつく締めたまま、2日間放置した。
2003年2月、悪らつなメンバーらは、再び譚さんを湘潭「610」の洗脳班まで不法連行して迫害した。譚さんは迫害を避けるため、しかたなく流浪生活を強いられていた。いつも食事が不規則で泊まり場所もなく、甚だしきに至っては、山中で過ごすこともあった。これらの凶悪犯は、いつも譚さんの家や親戚の家をかき乱して、仲を壊し、デマを飛ばしていた。
2004年5月14日、譚さんは湘郷市工貿新区内の借家にいるところを不法に連行され、湘郷市留置場に拘禁。その後、同じく不法に5年の刑罰を下されている。常徳武陵刑務所で迫害された時には、まさに死の直前であった。亡くなる2日前、刑務所が親族に譚さんを迎えるよう通達を出したが、譚さんは家に帰った後、2008年2月19日に冤罪を晴らせぬまま、亡くなった。
(注:法輪功修煉者を迫害している主要な責任者らの情報は、中国語のページを参照)
2008年8月27日
(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2008/8/20/184417.html)
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