江西省:張育珍さん、迫害で両手に障害
(明慧日本)張育珍さん(女性41歳大卒)は江西省南昌市進賢県李渡鎮の法輪功修煉者である。1999年7月20日、中国共産党は法輪功修煉者に対して全面的に迫害を始めた。張さんは7月末に上京して陳情に行き、そして法輪功修煉者が北京で開いた記者会見に参加した。その後、警察は何度も不法に張さんを逮捕・拘禁、2000年11月10日に張さんは北京で不法にも6年の懲役を言い渡された。そして2001年5月には、北京から江西省女子刑務所へと移送された。刑務所では残虐な拷問を受けて両手が不自由になってしまった。
悪らつな警官は彼女を「転向」させるため、長期に渡って残酷な迫害を行った。例えば、侮辱、体罰、独房での拘禁、たばこでやけどをさせる、縄で縛る、体に水泡が出来るほどひどい暑さの日光を浴びせる、入浴させない、寝させない、家族に面会させない、手錠と足枷をはめ、手錠で天井に吊るすなどである。彼女はこのように心身ともにひどく傷めつけられたのだ。
2005年6月13日、張さんは江西省女子刑務所第3大隊から監禁部屋当番のいる寮内の406号に移送された。監禁部屋の悪らつな警官、熊敏は張さんが「転向」しないため、いつも体罰を加え、張さんの人格を侮辱した。長期に渡って体罰を加えられたため、張さんの両足はひどく腫れ、歩くことも困難になった。
2005年9月19日昼11時過ぎ頃、悪らつな警官、熊敏の指図のもと、囚人の雷冬蓮、舒影静、祝維青らは張さんを寮から監禁部屋の内庭まで引きずって、午後3時まで直射日光を浴びせ続けた。また、監禁部屋の囚人である王霞、謝明霞、張茹萍らと共謀して、張さんの両手を背中側でねじって手錠をはめ、縄で張さんの手を窓の手すりに吊るした。これは「飛行機を吊るす」という拷問である。張さんは靴を脱いだ状態で、つま先のわずかな面積で床に立っていたのだ。これほどまでに苦しい時でも、悪らつな警官、熊敏はさらに監禁中の囚人である劉愛英、黄四妹を解き放って、張さんを非常に汚い言葉で侮辱、罵倒するよう指図した。翌日の夜中2時過ぎにようやく張さんは手錠を外されたが、このことで両手が不自由になり、死ぬことよりも辛かったと張さんは言う。これほどまでに残虐非道な責め苦に遭ったが、張さんは決して「転向」することなく、固く自らの信念を貫き通した。それからも悪らつな警官である熊敏、万敏英は、自らの手で張さんを窓に3時間ほど吊るし、しかも飲食ともに一切与えなかった。このことで張さんの両手は完全に不自由となり、自力で身の回りのものを始末することも出来なくなった。また飲食も大小便も、看護を必要とするほどになった。何日間かすると両側の上肢がものすごく腫れ、痛みで何日間も眠れなくなった。張さんは肩がベッドに当たるだけで、きりきり痛んだと言う。
それから張さんは省労働改造病院に送られた。両側の上肢軟組織がひどく負傷し、右肩が半分脱臼、肩周辺の炎症に高血圧、心臓病、発熱があると診断され、両手はずっと握ることが出来なかった。また腕もまっすぐ伸ばすことが出来ず、触れると痛みが走った。家族が事情を知った後、女子刑務所に面会を要求したが、悪らつな警官は実情を暴かれるのを怖がり、面会を許可しなかったのだ。その後、家族は江西省刑務局の局長と江西省司法庁の庁長を探し当てたが、陳情しても何の解決にもならなかった。
2006年11月10日、張さんは満期になり、釈放されなければならなかった。しかし、刑務所の余東所長や李輝副所長、鍾雲華、熊敏などが、進賢県「610弁公室」の王書記と趙主任や、李渡派出所の陶所長と政府指導員の毛節保らと共謀、張さんをこっそり江西省女子労動教養所に移送した。そして何の理由もなく不法に3年の強制労働改造を追加した。その時、張さんはすでに首、肩から腕、指まで痛みが走って腫れ上がっていた。両手は依然として握る動作が出来ず、腕はまっすぐ伸ばせない状態だった。また横向きに寝ることも出来ず、重い物を持ち上げることも出来なかった。さらには体が変形し、自力で身の回りのものを始末することすら出来ない状態であった。しかし、このような情況でも、労動教養所の呂大隊長と黎隊長は、さらに張さんに便所や洗面室、ホールの掃除を強制し、掃除をしなければ飲食をさせなかったのである……。
(注:法輪功修煉者を迫害している主要な責任者らの情報は、中国語のページを参照)
2008年9月1日
(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2008/8/28/184898.html)
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