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12年間迷い、修煉を始めるのが遅かったと気づく(写真)


文/王枚(バンクーバー)

(明慧日本)張さんは、妻が1996年に法輪大法を得た後、妻の身に奇跡が起こったことを目の当たりにして法輪大法がとても素晴らしいと認め、妻と娘が修煉することを支持した。法輪大法を実証することも積極的に手伝い、中共政権による法輪功への迫害を怖がらず、支持し続けた。

パレードの一番前にいる張さん

 しかし、張さんは、法輪功修煉者の家族、支持者であることに留まり、それに満足していた。妻は張さんに修煉するように勧めたが、張さんは「私にはまだご縁がない」と言っていた。今年2月、張さんは正式に大法弟子になった。張さんは、電話で大法弟子である娘にこのことを伝えた。娘さんは嬉しさのあまり泣き出してしまった。

 現在、張さんは正式に法輪大法を修煉して約5カ月になった。張さんは「修煉を始めてから、遅すぎたと気づきました。支持者と修煉者とはまったく天地の差があると分かりました」と感激して言った。

 大法の奇跡を目の当たりにする

 1996年、張さんの妻は重い肺気腫になり、息が切れて横になることもできず、常に入院していた。やがて、医者から「もう治りませんね。気功をやってみたら」と勧められ、紆余曲折を経て、法輪功と出会った。

 1996年6月初め、妻は法輪功を修煉しはじめて体に大きな変化があった。7月末に、元勤め先の学校の卒業生が同窓会をやるというので、そのクラスの担当であった妻も招かれることになった。張さんと子供たちは心配して、お母さんについていくことにした。しかし、妻は1人で1日中あちこちに行ったり来たりし、「介護」は全然必要なかった。

 その後、体が丈夫でない長女も母と一緒に法輪功を修煉し始め、元気を取り戻し、さまざまな貴重な体験をした。張さんは「私はそのときから法輪功は普通の気功と違って、すばらしいものであるとわかりました」と言った。

 「苦労」を我慢することに自信がなかった

 法輪功がとても良いと思いながら、なぜもっと早く修煉しなかったのか? 張さんは「法輪大法を深く理解していませんでした。自分の体は元気だから必要はないと思っていました。また、主な原因は、修煉の『苦労』に耐える自信がありませんでした」と答えた。

 「妻と他の法輪功修煉者は毎日忙しそうで、疲れきっているように思えました。中国大陸にいるとき、妻は毎日朝4時過ぎに起き、『煉功点』に行って煉功していました。冬の零下10〜20度の時もかまわず外で煉功していました。座禅の時は足を痛がり、煉功して半年過ぎても夜中に足の痛みで目を覚ますことがありました(みんな同じことが起きるとは限らない)。そして最近、妻はもっと忙しくなって、新聞配り、神韻のチケット売りなどいろいろなことで毎日朝から晩まで休む暇もありません」。

 「私は大法弟子に感服しています。大法弟子は自分の信仰を堅持するため、頑張っています。特に残酷な迫害の中(妻は北京へ直訴に行ったため、監禁されたことがある)、毎日欠かさず人々に真相を伝え、世人を救い、とてもすばらしいと思いました。しかし、自分にそこまでやる意志があるかどうか、自信がなくてなかなか修煉する決心ができませんでした」。

 趣味を放下することができなかった

 張さんは中国大陸でずっと教育関係の仕事をしていた。上品で礼儀正しい張さんは仕事が良くできるだけでなく、歌、劇、書道、太極拳など趣味もたくさんあった。カナダに来てからはコミュニティの老年協会でボランティアをしている。

 「これらの趣味は自分の退職した後の生活の楽しみですが、執着になってしまいました。太極拳を教えることで回りの弟子は多くできました。毎日『師匠』と呼ばれ、彼らを置き去りにするのは惜しい気持ちになりました」。

 「だから長い間、妻は法輪大法のこと、私は自分の趣味のことで2人とも忙しかったのです」と張さんは話した。

 師父は大法を修煉するチャンスを与えてくださった

 「慈悲なる師父は、私を置き去りにしないように、『正法』の最後の段階で私に大法修煉のチャンスを与えて下さいました」と張さんは感激しながら言った。今年の2月、バンクーバーの大法弟子は『腰鼓隊』(腰につける太鼓隊)のメンバーの組み直しをしようとしました。前の『腰鼓隊』の隊員は、天国楽団へ入ったり、舞踊隊に入ったりして、『腰鼓隊』にはあまり人が残りませんでした。しかし、バンクーバーの弟子は1年間数回パレードに参加していて、特に夏は多いのです」。

 「『腰鼓隊』はシンバルをたたく人がいなくて、実際『腰鼓隊』でシンバルをたたく人は指揮者です。私自身はシンバルをたたくことができたので妻は私に『腰鼓隊』に参加するように勧めました」。

 「私は、いろいろ考えました。もし、私がシンバルをたたく人になったならば、要するに『腰鼓隊』の指揮者になりますが、私は常人であり、大法弟子ではないので、常人が大法弟子を指揮することはできません」。「よく考えた末、とりあえず大法弟子になることを決め、そして、『腰鼓隊』の指揮者になりました。この時期、ちょうど住んでいるコミュニティで『集団学法』の場所が変わり、私の家になりました。そして私も大法弟子になりました」と張さんは話した。

 常人と修煉者の違い

 張さんは「修煉する前に、『転法輪』を読んだことがあります。師父の新しい説法も読みました。そのときは、大法の師父の説法を知りたい、内容を把握したいという角度で読みました。妻と話すときも、あなたたち法輪功はどうのこうの、あなたたちのことを手伝ってあげるというような感じでした。しかし、修煉を決意した後、考えが変わり、私は第三者ではなく大法弟子の一員であることがよくわかりました」 「以前は本、師父の説法を読むことでした。今はよく勉強しながら、それに従って行動するようにしています。法輪功を手伝うのではなく、大法弟子として大法を実証しています。修煉する前と修煉者になった後ではまったく感覚が変わりました」と話してくれた。

 精進と修煉、師父について家に帰る

 張さんは修煉して5カ月が経ち、大法を続けて勉強して一番残念だと感じたことは、入門が遅すぎたことだという。自分は大法が良いと知りながらも数年迷っていた。早く修煉し始めればよかった・・・。

 今年の5月、張さんは「ニューヨーク法会」に参加した。慈悲で偉大な師父にお会い出来、師父は新しい入門弟子を激励してくださった。

 現在の張さんは、毎日朝5時半に起き、妻と一緒に「煉功点」に行って、2時間煉功した後、大紀元新聞を配達している。これは往復3時間もかかる。そして毎週2日間退党センターでボランティアをやっている・・・。日夜、夫婦で大法を勉強しており、日々忙しい修煉の中で、以前の不安もなくなった。

 法輪功のパレードではいつも張さんの姿を見ることができる。老年の法輪功修煉者が多い「腰鼓隊」の一番前で指揮をしている張さんは元気よく動作は整然としている。パレードは毎回観衆から拍手を得ている。

 張さんは「私は絶対精進して修煉し、師父について家に帰ります」と言った。

 2008年9月5日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2008/8/25/184756.html