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広東省茂名市の警官が2人の年配者の家をこじ開け連行

(明慧日本)オリンピックの前夜、広東省茂名市の警官は法輪功修煉者を狂ったよう連行した。2008年8月1日午後、老年の法輪功修煉者・李順華さん、羅基さんは家に突然押し入ってきた警官に連行された。

 70歳の李順華さんは思想改造施設に連行された

 8月1日午後3時前後、中共政権のグループは李順華さんの家のドアをノックしたが、李順華さんと孫は警官であると知ってドアを開けなかった。すると警官はドアをこじ開けて侵入し、八人の警官がタンスの中身を強奪し、、テレビ、ビデオプレイヤー、法輪功の書籍など、三袋分の私財を奪った。さらに、警官らは李順華さんを茂名市河西中隊の思想改造施設へ連行し、迫害した。

 李順華さん(70歳前後、女性)は、八年前に思想改造施設に連行された。2008年11月、李順華さんは北京政府に法輪功の真相を伝えに行ったとき、警官らに連行され、茂名に戻された。第二看護所留置所で不法に身柄を拘束されて迫害され、その後、茂名思想改造施設に拘禁され、一ヶ月間迫害を受けた。

 60歳の羅基さんは何度も連行された

 2008年8月1日午後、警官らは同じ手口を使って家をこじ開け、女性法輪功修煉者・羅基さんを茂名河西中中隊の思想改造施設に連行した。羅基さんの息子は家の防犯門と木門がこじ開けられたのを発見した。家中が散々に荒らされ、母は行方不明となり、警官の一通の手紙、「羅基は法輪功を煉功し、思想改造施設に連行」だけが残っていた。

 羅基さん(60歳前後、女性)は、1998年に法輪功を学び始め、2000年10月中旬に北京で陳情し、法輪功の真相を伝えた。しかしその後、茂名市第二看護所留置所に連れ戻され、15日間拘禁された。同年12月にまた陳情しようとしたが、途中で広東省茂名市610弁公室に阻止されて連れ戻され、茂名市第二看護所留置所で身柄を拘束された。この期間、毎日強制労働を16〜18時間強要され、法輪功を学び、煉功することを禁じられた 。羅基さんは拒否して断食し、迫害を阻止した。警官らは牢獄の病院の数人の囚人に指示し、羅基さんを地面に押し倒し、強制的にチューブを突っ込み食事を流し込んだ(灌食)。

 羅基さんは自分の信奉を堅持したことで、2001年3月23日に労働教養一年半を科せられた。広東省三水婦労働教養所に強制的に送られ、迫害を受け続けた。この期間にさまざまな手口を尽くした酷刑を受け、虐待された。また、法輪功の煉功を放棄しないことで拘留期間を三ヶ月延長された。

 2002年9月19日、羅基さんは茂名思想改造施設に戻され、さらに迫害を受け続けた。羅基さんは法輪功の煉功を堅守していたため、保安部の鄭国偉がこれを知り、羅基さんの両手に後ろで手錠をかけ、連続数日間窓に吊るし上げた。羅基さんの煉功を止めさせるため、茂名思想改造施設の警官らはあらゆる手口を尽くしたが、羅基さんは決して屈服しなかった。

 2003年末、羅基さんは再度断食して迫害に抗議した。そのため、体が虚弱し、警官らは責任の追及を恐れ、家族と職場の責任者に本人を連れ帰るよう電話した。羅基さんが帰った後、610弁公室が頻繁に電話で私生活を侵害し、羅基さんの家の前で監視したり、尾行したりし、人身の自由を侵していた。

 2005年9月15日、羅基さんが人に法輪功の真実を伝えたため、610弁公室の警官らに再び連行された。その後、羅基さんはずっと断食して迫害に抗議したため、毒性のある薬を強制的に流し込まれた。それにより、羅基さんの歯は何本か折れてしまった。警官らは、羅基さんの命に危険が現れたのを見て、責任の追及を恐れ、同年12月28日に釈放した。羅基さんは家に戻り、煉功をすることで、体調がす早く回復した。

 しかし、警官らはあきらめず、羅基さんは帰ってまだ一ヶ月経たないうちにまたも連行され、三水労働教養所で秘密裏に労働教養を強いられ、迫害され続けた。身体検査で不合格となったことで、羅基さんは留置所に一旦送られ、家に返された。

 (注:法輪功修煉者を迫害している主要な責任者らの情報は、中国語のページを参照)

 2008年9月8日 

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2008/9/4/185303.html