■日本明慧 http://jp.minghui.org/2008/09/23/mh245922.html 



決して自分を弛めない

文/大陸の大法弟子

(明慧日本)私は若い女性大法弟子です。かつて、自分は世事に対して超然とした態度で、普段自分の言行にも気をつけていると思っていましたが、このような思い込みで自分を弛めてしまい、好奇心で大法弟子としてしてはいけないことをやってしまいました。今回、そのことを書き出して、自分の欠点を見つけ、また同修が私の二の舞にならないように注意してほしいと思います。

 大学に入学してから、私は恋愛をしたことがない学生の一人でした。社会的に変異した観念の下で、恋愛をしたことがない自分は少し変だと思いました。自分のこの執着心にしたがって考えると、師父の説法の中にも、若い大法弟子が結婚してよいと言っておられたことを思い出しました。私はこの師父の説法を言い訳にして、同じクラスの男の子からの告白に応えました。しかし、彼は常人で、もっと親密な関係になりたいと言ってきました。そして「今は同棲する人が多いよ」などといつも私に言ってきました。私は大きな間違いはしなかったものの、彼と親密な接触をしてしまいました。

 そして、この関係の下で色欲の心が生じてしまいました。自分を弛め、同室の学生たちが読む恋愛小説も同様に読み、本の中の描写にドキドキハラハラしてしまいました。心性が下がっていることも意識できず、彼と親密な関係を続けていました。その間、トイレへ行く夢を数回繰り返し見ました。トイレは汚くて踏み場もないぐらいでした。しかも、表情がない男女が同じトイレにいるという夢をみました。その夢の中で私は排泄をすることを拒んでいましたが、依然その汚いトイレの中に立っていました。夢の後、私は大きな間違いは犯してはいないが、常人と同じように汚いところにいるのに出ようともしていないことを悟りました。自分が変異した正常人であることに満足していました。なぜ私は修煉者なのにそのようになってしまったでしょうか。原因は法の勉強を怠っていることでした。その後、私は師父にはっきりと導かれ、目を醒ますことができました。

 現代の社会では、当たり前のように裸体画が飾られており、ネットや小説、雑誌、映画のほとんどがポルノ要素を含んでいます。時間が経つにつれ、私はまた気を弛めてしまいました。一体、男女の肉体関係がどういうものかという好奇心から、私はいくつかのアダルト映画を見ました。終わった後、明らかに考えが不潔なシーンによって汚れてしまいました。後悔してももう遅いのです。それらのシーンは時々脳裏に現れてきます。このようなことになってしまったのは法を学ぶことを怠り、自分に厳しく求めなかったからだと気づき、自分の修煉に支障を来たしてしまいました。気づいた後、正念を発するときは、自分の考えを整理することに注意しました。これによって、良い効果を得られ、自分の心性も高まりました。

 今月、日常生活で忙しく、法を学ぶ時間が明らかに減りました。また、時々集中力が欠けてしまいます。法を学ぶ時間が少ないと、正念も純粋でなくなり、「三つのこと」も任務としてやってしまいます。こういう状態になったにもかかわらず私は重視せず、反対に暇なときに娯楽を楽しんで、長い間見ていないドラマやさまざまなサイトを楽しく見てしまいました。今日の夜は特に暇で、大分前に友人が言っていたサイトの映画のことを思い出し、内容が不健康であることを知りながらも、好奇心を我慢できずに見てしまいました。人は容器のようなもので、入れたものと同じになります。その映画を見た後、最近自分が精進していないことに気づきました。自分が以前頑張ってやっていた些細なことに満足しているがゆえに、昔と同じ間違いを犯してしまうのだと思いました。大法弟子として、自分の「一思一念」を修正することができず、また自分の行為さえ大法の要求することと一致していませんでした。

 本来、私自身と家庭環境はそのような性的な汚染がありませんが、私は自分の気を弛めてしまい、不正を正すことをすべきだったのに、逆にそれに流されてしまい、人為的に修煉を防げられてしまいました。もう後悔しても遅かったのです。私自身がまだ完全に執着心を取り除いていない隙をつかれてしまったのです。その原因は、常に法を学ぶことを怠っていることでした。

 そして私は、若者として、好奇心は言い訳にすぎないと気づきました。ドラッグ中毒者のほとんどもこの好奇心ゆえに、どうしようもない状況に陥っています。また、そのような画像、映像に惹かれてしまったのは、自分自身の言行を正さず、排斥すべきものを受け入れてしまうのがもう一つの理由だと思います。私は周りの友人にもこのようなことがあると気づきました。見るべきでないものを見たとき、口では、現代社会が悪くなっていると言いながら、そのようなものに釘付けになって見ていました。実際、そのような気持ちを排斥する決意をしなければ、私たちは影響されやすくなると思います。

 私は、日ごろからたくさん法を学び、「三つのこと」をしっかり行わなければならないと悟りました。また、同時に悪を排斥し、すべての不正を正さなければなりません。これこそ大法弟子がやるべきことで、大法の人間界での再現なのです。

 今日この文章を書いたからには、今後、絶対に精進して修煉し、師父に心配をかけないようにしたいと思います。

 個人の体験で、同修の慈悲なる叱正をお願いします。合掌。

 2008年9月23日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2008/8/30/184982.html

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