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ハルビン市:董連太さん、長林子労働教養所で迫害を受けて死亡

(明慧日本)2008年9月11日、ハルビン市の長林子労働教養所でのこと。4、5人の警官があたふたしながら危篤状態の董連太さん(45歳男性)を双城市の単城鎮に移送した。董さんは8日間後の2008年9月19日夜6時40分に腹腔内が高熱になり、耐えられないほどの激痛によって死亡した。

  労働教養所の人は董さんに「お前を早く家に帰すことにする。今晩まで生きられないかも知れないからな」と言った。

  董さんは家に帰された後、腹腔内の高熱で五臓六腑と背中が急激に痛み出し、肺臓のようなものを嘔吐して、とても臭い匂いがした。董さんの症状から見て、労働教養所で強制的に有毒の細菌を投与されたか、こうした注射によって死亡した可能性がある。

  董さんは双城市の単城鎮政久村の農民で、法輪功を修煉してから健康になり、立派な人として人々に認められていた。かつて真相を伝えるため2回上京したが、2回不法に拘留され、労働教養を科された。2008年6月24日夜7時頃、董さんは家に帰る途中で単城鎮趙炮屯の中共関係者・何偉、趙文華に通報された。それと共に単城鎮警察署の悪らつな警官・范子民と政法委書記・陳超武に家財を不法に没収され、強制連行された。双城市公安局の悪らつな警官は、董さんを殴打した。そして悪らつな警官は意識不明の董さんに偽の供述書の上に拇印を押させた後、双城市留置所に送った。

  7月7日、ハルビン市からの専門的なメンバーが、董さんを不法に取り調べたという。董さんは次のように述べたという。「私は罪を犯していません。中国の憲法によると、公民は信仰自由の権利があると決まっています。法輪功を信奉することも私の権利なのです。私は家に帰る途中に強制連行されましたが、社会の治安を妨害しているとは、まったく言えません」。

 悪らつな警官は、供述書だけでも董さんを労働教養に科すと言った。董さんはこう答えた。「私は意識不明の状態で強制的に拇印を押させられたので、私はこのことを一切認めないのです。私が配ったチラシの内容を見ましたか? それは人を救えるものなのですよ」。

  しかし、悪らつな警官は「国家は許さんぞ。なぜ、お前は国家に逆らうのだ?」と聞いた。董さんはそれにこう答えた。「私は多くの病気を患いましたが、お金がなくて治療が出来ませんでした。しかし法輪功を修煉してから、私の病気はすべて完治したのです。「真・善・忍」に従って、より善い人になることを目指すのは間違いではないと思います。警官が不法に逮捕、暴行、拘留することこそ、間違いであると思います」。

  その後、双城市公安局の国保大隊は、万家労働教養所で董さんを不法に10日間「集中訓練」させた後、長林子労働教養所に拘留した。そこでは董さんは虎の椅子、灌食などの迫害を受けた。董さんの胃と食道は何度も灌食されたため、塩水を注入される時、これ以上耐えられなくなった。董さんは監獄の医師に塩の量を減らすように頼んだが、悪らつな医師は通常よりもっと多くの塩を入れた。そのため、董さんは激しく咳き込み、眠ることも出来ずに腹部と胸腔内の高熱で意識不明になった。

  2、3カ月間の間に、董さんは迫害で危篤状態になった。警官は董さんが労働教養所の中で死亡するのを恐れた。そして警官はあたふたしながら董さんに家に帰るようにさせた。2008年9月11日、労働教養所は、董さん宅に3回電話をかけた。1回目は董さんを迎えたこと、2回目は中秋節までに董さんを刑務所から送るようにさせたことである。1時間後に電話が来た時には、すでに董さんを帰していた。そして8日後に董さんは死亡した。

  董さんが帰されてからの症状は、同じ労働教養所で迫害を受けた双城市韓甸鎮の柳権国さん(49歳)の死亡時の症状とほぼ同じである。柳さんが釈放される前、警官・趙爽は「出たら、きっとお前は死ぬと思うぞ」と言った。予想通り、柳さんも帰されてから死亡した。他にも迫害された症状が同じで死亡したのは、双城市の法輪功修煉者・岳保学さんとドウ文成さんである。

  董さんは何回も迫害を受けたため、家族も非常に貧しくなり、家も荒れはててしまったが、これでどうして生活出来るというのか?

  董さんを迫害した人は罪の責任からは決して逃れられないのだ。

 (注:法輪功修煉者を迫害している主要な責任者らの情報は、中国語のページを参照)

 2008年9月25日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2008/9/22/186338.html
(英語:http://www.clearwisdom.net/emh/articles/2008/9/24/100914.html