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山東省章丘市:年配の法輪功修煉者・趙風英さんが迫害された経緯

(明慧日本)趙風英さん(62)は山東省章丘市明水県党家郷の人で、法輪功を修煉して9年になり、心身ともに恩恵を受けていた。

 今年7月22日午前、明水610弁公室の担当者と党家郷派出所の警官が結託し、不法に趙さんの家に侵入し、強引に家財を没収し、趙さんを連行した。当時、呉素瓊さんとその娘は趙風英さんと一緒に住んでいた。

 警官たちは通報があったと言い、趙家のものをひっくり返し始めた。警官が大法の師父の肖像を奪おうとしたとき、趙さんが制止したため、警官・崔玉嶺に地面に打ちのめされ、後頭部に卵ほどもある大きな瘤ができ、その場で気絶した。呉素瓊さんは直ちに病院に送るよう要求したが、拒否され、警官は相変わらず家財や大法の書籍などを没収し続けていた。趙さんは一時意識を回復し、再び大法の書籍を取り戻そうとしたが、しかしまた気絶した。その時、警官は党家郷派出所から応援を来させた。その中に張濤、崔恩賀、孫××、副所長がいた。

 警官は趙鳳英さんら3人をめった打ちにし、また趙さんの顔に不明の薬物を振り撒き、趙さんは地面に倒れて何も分からなくなった。呉さんはすぐさま周りの人々に命を助けてと叫び、警官の暴行などの悪行を暴露した。すると副所長は大衆の面前で、死んでも当然だ、法輪功修煉者が1人死ねば1人減ると口汚く罵った。しばらくして、警官は呉さんとその娘を街路まで引っ張り出し、強制連行しようとした。しかし、趙さんは意識が戻り、直ちに制止し、そして3人は抱き合って一団となり、7、8人の警官が全力でも3人を別々にさせることはできなかった。警官は再び猛烈に殴って、やっとのことで趙さんと呉さんをパドロール・カーまで引っ張って行き、連行しようとした。周りの人々は警官の卑劣な悪行を最後まで見届けることができず、怒って「人を思いのままに殺す!」と叫び始めた。警官は人々の憤怒の叫び声の中、ようやく呉さんを車から降ろした。しかし、娘は党家郷派出所へ強制連行された。

 呉素瓊さんは帰って門に施錠した。間もなく警官がまた強制侵入しようとしてやって来たが、うまくいかなかった。そこで、警官の一人は窓ガラスを壊して侵入した。警官・張濤、崔恩賀らは呉さんが動けなくなるまで暴力を振るい、ドアの鍵を叩き潰した。呉さんは手錠を嵌められ、車で党家郷派出所へ連行された。周りの人々は再度中国共産党の暴徒たちの暴行の目撃証人となった。

 その後、警官は老人の趙鳳英さんを連行するために再び戻って来たが、趙さんの家族は強く制止した。警官・張濤は手錠で老人の手の甲を激しく叩き、手の甲は腫れ上がった。老人はとうとう派出所まで連行された。

 翌日、副所長と張濤は610弁公室の警官・于宝謙と合流し、協力して3人を強制的に明水経由で済南留置場へ送り迫害することにした。済南留置場へ着くと、呉さんはもう動くことができなくなり、屋内で負傷状態を調べた。留置場の係員は明水の610弁公室の警官に向って、あなたたちは人が死ぬまでやっつけるつもりか、人身事故が起きたら誰が責任を負うのか? 急いで病院に行くようにと言った。

 趙さんは留置場でずっと目眩がして、食べると吐き出し、足は靴を履くことができないほど腫れた。同室の医師は、これは脳震盪であると言った。29日経て、趙さんは正念を持って悪の巣窟から出ることができた。610弁公室内部の話によると、于宝謙は趙さんに3年の労働教養を判定する予定だったという。

 呉素瓊さんと娘はそれから東営に送られ迫害されることになった。

 章丘市公安局610弁公室の警官・于宝謙-は背は高くなく頭は禿げ、いつも苦々しい顔つきをして、陰険で残酷、江沢民からなるごろつきグループに追随し、多くの法輪功修煉者を迫害し、孟桂紅さん、潘麗さん、宋先運さん、劉立運さん、余素葉さん等の法輪功修煉者は于宝謙の迫害を受けたことがある。

 (注:法輪功修煉者を迫害している主要な責任者らの情報は、中国語のページを参照)

  2008年9月26日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2008/9/20/186226.html