周模珍さんは不法に連行されて1年、音信不通のまま
(明慧日本)法輪功修煉者・周模珍さんは2007年8月27日再び不法に連行されてから、未だに音信がないままである。
周模珍さん(60歳前後、女性)は、四川省古藺県火星の農民。1996年、縁があって法輪功を修煉し始めてから、長期に患っていた下痢などの多くの疾病がいつの間にか良くなった。1999年、中共が法輪功に対する天地を覆い隠すような迫害を始めてからも、周模珍さんは相変わらず「真・善・忍」に対する信奉を放棄しなかったので、かつて2回も不法に15日間拘留されて、迫害に遭った上、法輪功の書籍などを取り上げられた。
2000年12月末、法輪功の為に陳情に上京したが、古藺県留置場へ連れ戻されて灌食を受けて迫害され、その後4年の刑を下された。2001年6月、古藺県から簡陽下馬河四川省女子刑務所の第3中隊へ移された。
彼女は「真・善・忍」への信奉を堅持したため、心身ともに残虐な迫害に遭った。強制的な洗脳を受け、奴隷のように働かされて、拷問をされても、転向を拒んで大法を堅持して修煉した。2005年5月に刑期満了になってやっと釈放された。周模珍さんは帰宅しても、中共は彼女に対する迫害をやめなかった。「敏感日」になる度に、警察や、あるいは中国共産党の人員らは訪問という名目で家に来て、彼女の私生活を侵害した。
2007年8月27日、古藺県公安局刑事課の鄒強は10数人の警官を連れてパトカーでやってきて、周模珍さんの自宅を不法に強制捜査し、周模珍さんの法輪功の書籍、真相資料と煉功器材などを不法に没収した上、周模珍さんを強制連行した。9月25日の判決では、「周模珍さんは真相資料を配っていたと告発された」ことを理由にして1年の労働教養を判定された。周模珍さんは不服で、控訴しようとしたが、翌日、身内が控訴の資料を提出しようとしたところ「周模珍さんを既に労働教養所へ送った」と知らされた。「どこの労働教養所か」と聞くと、「資中県楠女子労働教養所だ」と回答されたが、それ以上具体的に資中県楠女子労働教養所のどの監区、どの中隊なのか、誰も教えてくれなかった。
身内は仕方なく「資中県楠女子労働教養所」の住所を教えてもらって、周模珍さんに手紙を書いたが、石が海に沈んだように全く返事がなかった。周模珍さんが不法に強制連行された時は夏だったので、薄着だった。家族はその後、2枚のセーターを持って行ったが本人に会えなかった。それは古藺県県公安局が急きょ秘密裏に彼女を他へ移したからで、家族は彼女に服などを届けることも間に合わず、送り先もわからない。去年の冬は寒かったが、彼女はどう過ごしただろうか?
現在はすでに2008年9月下旬で、もうすぐ1年になるが、周模珍さんは行方不明のままだ。彼女は一体どこにいるのか? どうしているのか? 誰も知らない。彼女の息子夫婦は出稼ぎに行き、夫は2、3歳の孫と精神病の娘を世話しなければならず、資中まで尋ねて行くことができないでいる。
2008年9月30日
(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2008/9/27/186638.html)
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