日本明慧
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正念を発することに対する認識と体得


文/鶏西の大法弟子

(明慧日本)正念を発することは師父のおっしゃった三つのことの一つであり、とても重要なことです。大法弟子が法を実証し衆生を救い済度する事にきわめて重要な役割を果たしています。ここで正念を発することについて自分の認識と体得を話したいと思います。法に適わないところ等がありましたら、ご指摘をお願いします。

 一、たくさんの同修は足を組んで正念を発する時、やや不正確な姿勢をすることがあります。たとえば、腰を曲げていたり、猫背だったり、手が倒れたり、頭が低く下がっていたり、体が真っ直ぐになっていなかったりなどのことがあります。しかし、正念を発する姿勢は正念の効果に大きな影響を与えています。師父は「宇宙の全ての邪悪を粉砕することができるという唯我独尊の勢いがなくてはなりません」とおっしゃいましたが、私達が正念を発する時の姿勢には、師父のおっしゃったような佛法の威厳を表す勢いがあるのでしょうか? それから、正念を発すると眠くなってくる同修もいます。それは邪悪の妨害ではないでしょうか? それらの同修に対して、私は経文の「道法」を読むことを薦めます。どうか、自己を緩めないよう、勇猛精進しましょう!

 二、一部の同修は正念を発する時、時間を気にして、よく時計を見たりしがちです。なかなか落ち着かずにいろいろな雑念が沸いてきます。実際は、正念を発する時、心を静め、念力を集中し、邪悪を徹底的に根絶することを目指すべきです。必ずすべての思想の邪悪を消滅することに集中し、強大な「滅」と言う字をしっかりと保つべきです。正念を発することは形式に流されないようにすべきです。任務をやり遂げるような心理状態ではなおさらいけません。

 三、正念を発する時、悪人を憎悪する人心を持ち込まないようにすべきです。私たちは大法弟子であり、広大なる慈悲と寛容を持たないといけないからです。悪人らに悪の報いを受けさせるのも、一種の慈悲心によるものです。彼らは悪の報いを受けることにより、罪業を滅し、同時に深刻な教訓を得ることができます。当然ながら、どの程度まで受けるかについて、徹底的に消滅されるまで執着すべきではなく、大法はすべてを判断できるからです。また、正念の効果にも執着してはいけません。なぜかと言うと、効果が見えてこなければ、自信が揺らいでしまいます。私達は正しい心理状態で正念を発すべきです。正念を発することは最も公正かつ高尚な行為であり、法に符合しない邪悪な要素をすべて取り除き、同時に慈悲の心をもって未来に入れるすべての衆生を助けています。

 四、最後に、まだ正念を発する要領をつかんでない、または姿勢が不正確な同修たちに、ある同修が書いた一首の詩を参考として取り上げたいと思います。この同修は、この詩をもって正念を発する時の感受及び邪悪を取り除く勢いを表現しました。

 正念を発する体得

 足を組んで座り雄大なる泰山の如し
 威儀正し静かに気を収め雑念を払う
 掌を立て邪悪を取り除く意志を固め
 幾重の「滅」の字が天の如く大なり

 魑魅魍魎はすっかり崩れ
 邪な霊と卑しい鬼はすべて灰塵になる
 多くの蓮の花は光の炎を放ち
 宇宙は朗々と新しく換わる

 2008年10月2日

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2008/10/1/186954.html