日本明慧
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娘は迫害されて死亡、母親・陳秀玲さんは再度の労働教養処分に(写真) (明慧日本)2008年8月21日朝10時頃、黒竜江省佳木斯市佳東派出所の4、5人の警官(内1人は武装警官)が無理やり陳秀玲さん(58)を連行し、そして、家中をさんざんかき回し、家財を略奪して行った。
陳英さんは中国共産党が法輪功を迫害することを宣言してから3日目の1999年7月22日、国務院に陳情に行って捕えられた。8月16日、郷里に送還される列車の中で、警察は陳英さんに対して、殴打、脅迫、侮辱し、手錠で列車の荷物棚に繋ぎ、半分のパンと半本分の水しか与えようとしなかった。警官は常に傍にくっついて離れず、トイレに行く時もドアを閉めさせず、陳英さんは彼らの侮辱に辛抱し切れず、トイレで用をたした後扉を閉めて、昼2時34分、京秦線280キロメートルの所で飛び降りた。佳木斯市公安局の李政治委員と第2専属乗組班の専務車掌らは陳英さんを豊潤病院に運んだ。その晩6時過ぎ、意識がまだ回復していない状態で、李政治委員は「助かりそうにないから、酸素吸入を中止!」と言った。彼らはその夜、陳英さんを豊潤火葬場へ送り冷凍した。1999年8月19日、中央テレビ局は次のような偽りの放送を公然とした。「黒竜江省佳木斯市の樹人中学(高校)の陳英さんは、意識が朦朧として、何度も自殺を図り、家族の目を盗んで飛び降り自殺をしました」。 陳秀玲さんは2000年3月、佳木斯留置場に不法拘禁された。2000年4月13日、家族は佳東支局に500元の保証金を渡し、留置場には300元渡した後、やっと釈放された。2001年3月17日、中国共産党は秀玲さんを佳木斯労働教養所に収容し、不法な強制労働を強要した。迫害の重圧の下で、秀玲さんはやむを得ず懺悔書(いわゆる過ちを悔い改める文書)を書いた。(すでに声明を発表して破棄)その後、2002年1月25日に釈放された。2003年3月12日、佳東公安支局は秀玲さんの家財を差し押さえ、秀玲さんを同支局へ騙して連行し、22日間留置場に監禁した。秀玲さんは4月2日に労働教養3年を言い渡され、また佳木斯労働教養所に送られた。教養所に着いたとたん、洗脳を強制され、「背中まで手錠をかける」と言われる拷問を受けた。腕をベッドに繋いで、タイルの上に座らされ、トイレにも行くことができなかった。 7月22日、法輪大法を誹謗するテスト用紙に記入しなかったため、また「背中まで手錠をかける」をされた。家にいた時は体が丈夫で60数キロあった体重が教養所で迫害を受けてから、50キロにも満たない体になってしまった。 秀玲さんは元佳木斯市交通運送会社の商業貿易市場の管理責任者であったが迫害されて職を失った。以前は、佳木斯光復路東段浦東スーパーマーケットの東に位置する元製紙工場の青年マンションの4階に住んでいたが、今回、警察に捕えられ、連行された後、警察は部屋を秀玲さんに貸してはならないと家主に厳重に命令した。 2008年5月から最近まで、佳木斯市東風公安支局佳東派出所はあい次いで陳秀玲さん、李栄宏さん、蔡春梅さん、呉秀傑さん、呉双利さんなど数人の法輪功修煉者を連行した。 李栄宏さんはすでに不法な労働教養1年を言い渡され、現在綏化労働教養所に収容されている。法輪功修煉者・蔡春梅さんは2008年7月4日に佳木斯市東風公安支局佳東派出所に連行され、同時に家財も根こそぎ略奪された。蔡春梅さんは、現在佳木斯労働教養所に拘禁されている。 7月29日、警官は呉秀傑さんを建国路派出所へ不法に連行し、その日の午後3時に佳木斯留置場に送り込んだ。現在は行方不明である。 (注:法輪功修煉者を迫害している主要な責任者らの情報は、中国語のページを参照) 2008年10月2日 (中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2008/9/24/186471.html) |
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