■日本明慧 http://jp.minghui.org/2008/10/03/mh040744.html 



佳木斯市の法輪功修煉者・劉艶雲さんは迫害され死亡(写真)

(明慧日本)黒竜江省佳木斯市の法輪功修煉者・劉艶雲さんは、1999年に中国共産党が法輪大法を迫害し始めてから、3回政府職員に連行されて迫害され、不法に労働教養を科され、2008年9月13日に冤罪が晴れないままこの世を去った。

劉艶雲さん
劉艶雲さんは2008年9月13日に冤罪が晴れないまま死亡

 劉艶雲さん(55歳女性)は、1995年に法輪功を修煉する前、かつて腿骨壊死となり、北京、上海などに行って治療を求めたが良くならず、法輪功を修煉した後に、すべての疾病が一掃され、歩く時も全身が軽くなった。2000年の新年の数日前、劉艶雲さんは北京へ陳情に行き、法輪大法と「真・善・忍」はすばらしいと言ったため、共産党の職員により、北京から現地の留置場に100日以上も拘禁された。その後、劉艶雲さんは断食して迫害に抗議した。家族は多くのお金を支払って(具体的な金額は不詳)やっと戻された。

 2000年8月、劉艶雲さんは江北柳樹島の親戚に法輪功の真相を伝えたところ、真相がわからない人に通報され、現地の政府職員に連行された。公安支局で不法に拘禁されていた間、「飛行機」(一種の拷問法)や、立ったままの姿勢を強制され、眠ることも許されなかった。留置場の中で、劉艶雲さんは断食して迫害に抗議したため、野蛮に灌食された。

 劉艶雲さんは中共政権職員に労働教養を強いられた。労動教養所で、警官は受刑者と邪に悟った者を利用して劉さんを強制的に洗脳し、精神的に追い詰めた。このことは劉艶雲さんに言葉で言えない精神的苦痛をもたらした。

 2001年以降、前進支局順和派出所の警官は何度も不法に私生活を侵害し、劉艶雲さんを恐喝した。ある日、政府職員は部屋に突入し、劉艶雲さんは飛び降り自殺をしようとするまで追い詰められた。

 2002年9月26日、警官は密かに夜勤帰りの家族を尾行し、家の中に突入し、強行して劉艶雲さんを連行した。劉艶雲さんと交流のある法輪功修煉者・張令徳さんは、劉艶雲さんの家の階下で政府職員に連行され、不法に3年の労働教養を受けた。 

 劉艶雲さんは、不法に佳木斯留置場で14カ月間拘禁され、不法に2年の刑罰を下され、ハルピン黒竜江省女子刑務所で10カ月間拘禁された。劉艶雲さんが第1回目にハルピン刑務所に送られた時、身体検査が不合格で戻されたが、政府職員は依然として劉艶雲さんを留置場に拘禁した。2003年7月31日に、再び強行して劉艶雲さんと他の数人の法輪功修煉者を共にハルピン刑務所に入れ、引き続き迫害した。

 劉艶雲さんの体は、迫害されて非常にやせて弱々しく、何度も私生活を侵害され、体はずっと回復していない。

 2008年のオリンピック前と開催中、中共政権はいわゆる「政府職員」(警官を含む)を操縦して当地区で大量に法輪功修煉者と家族を連行した。劉艶雲さんの病状は重くなり、2008年9月13日の明け方に冤罪が晴れないまま死亡した。

 劉艶雲さんの息子・高延明さん(32)は、以前は聡明、活発で、よく笑ったり、冗談を言ったりしていたが、母が1999年から迫害された後、精神がずっと重苦しく、見知らぬ人に会うのを恐れ、家族の前でも頭を上げられないほど落ち込んだ。

 劉艶雲さんが迫害された境遇は、中国大陸の法輪功修煉者が迫害された1つの縮図である。中国共産党が法輪功を迫害した後、多くの人は脅されて法輪功修煉者の家族と付き合う勇気がなく、ある法輪功修煉者の家の貯金は政府党職員に平気で略奪され、数人の家族は政府の脅しを受けて仕方なく法輪功修煉者と離婚した。

 国際社会の良知ある正義の人々は、援助の手をさし伸べ、早くこの迫害を制止するよう望んでいる。

  2008年10月3日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2008/9/29/186782.html

明慧ネット:jp.minghui.org