日本明慧
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修煉とは神になることであって、人になるのではない


文/大陸の大法弟子

(明慧日本)少し前、毎日「明慧ネット」の文章を読んでいたとき、大法弟子がいまだに、邪悪にコントロールされている悪人の迫害を受けているのを見て、非常に悲しく感じました。迫害が起きてから9年間が経ちました。大法弟子が修煉してから何年も経ちましたが、この最後の最後になって、円満成就の直前に、大法弟子がいまだにこれらの人間に迫害されているのはどうしてでしょうか。神になろうとする修煉者はなぜ、まだ人間にとどまるのでしょうか。考えてみれば、私達自分自身に問題があるのではないでしょうか。必ずそうです。

 ある人は、毎日大法を学び、煉功すること自体、非常に超常的な現象です。体に帯びている功はエネルギーであって、それは原子力爆弾なみの力があります。邪悪が見れば恐れるはずで、自ずと解体されるはずです。ではなぜ、これらの邪悪に逮捕され、身に覚えのない実刑判決を言い渡されるのでしょうか。重要なのは、自分がこのように考えていないからです。ですから、これらのエネルギーがあなたの体にあっても使おうと思っていません。このようになってしまえば、自分自身の能力が自分によって封じられてしまいます。よって邪悪が迫害できるるようになるのです。師父はおっしゃいました。高い次元の命は、神、体、考えが三位一体になっているので、このような考えがなければ、このような能力はありません。ですから、迫害を受けている人はいまだに人だと言うしかありません。

 人身があるので、人間の考えがあるのは仕方ないことです。しかし、これは個人の認識であって、私達は完全にその認識をはたらかせないようにすることができます。人間の考えを野放しにしてはなりません。人間の考えが自分の行為をつかさどるのを許してはいけません。ですから、大法の修煉は内に向けて探すものであり、心に向けて修煉するのであって、これが人と神の区別なのです。今、邪悪が修煉者を妨害することができるのは、それは修煉者自身の問題です。私達は神になろうとしています。人になるのではありません。刻一刻と神の正念をもって、人の考えを制御し、人の考えがはたらかないようにすることで、基本的に神への道を正しく歩むことができます。邪悪からも妨害されずにすみません。

 2008年10月4日

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2008/9/26/186524.html