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修めて欲を断つ


文/大陸大法弟子

 (明慧日本) 師父は『2004年の米国西部法会での説法』の中で、「色欲は修煉者にとって最も乗り越えがたい関である」と仰いました。私個人の理解ですが、色欲の心を放棄しさらに欲を絶つことは、修煉者として最終的に必ず遣り遂げなければならないことであり、これも法が私達に要求していることだと思います。この方面についてしっかりと修め、極端に走ることのないように交流したいと思います。

 『修心断欲』の小冊子が出た後、ある同修は極端に走り、衆生を救うことに障害を与え、大法に一定のマイナス影響をもたらしました。特に常人の夫を持つ同修が夫婦生活を強行に断ち切ったため、家庭に不和が生じ、さらに相手がそれを大法のせいだと思い、過激な性格の人に至っては大法を罵るなど、世間に悪い印象を与えました。これは修心により齎らされた結果ではなく、表面的な行為を機械的に模倣したものです。

 肝心なのは私達がどのように応対するかということです。明慧ネットに掲載された、ある女性同修の文章があります。彼女の夫が夫婦生活の欲求を現した時、彼女は洗面などで時間を遅らせ、同時に自分自身の内に向かって探しました、結果、昼間に自分の欲求が湧いてきたことが夫の欲求を引き起こしたと分かりました。自分の執着心を探して取り除き、寝室に帰ったときには夫はすでに寝ついていました。

 自分の心を如何にしっかり把握するかだと私は思います、内心を修すことで外部を抑制することができる、実際に師父が説かれた法の中にすでにはっきりと解説されています。『先日、わたしは「佛光が普く照らせば、礼儀が圓明となる」ということをお話ししましたが、それはつまり、われわれの身体から発散されたエネルギーが、あらゆる間違った状態を正すことができるということです。したがって、この場の働きの下で、あなたがそういうことを考えないかぎり、知らずしらずのうちにあなたの配偶者も制約を受けるようになります。あなたがそんな念を起こさなければ──あなたはそんな念を起こすわけもないのですが──相手もそのことを思いつきません。しかし、絶対とは言えません。いまの環境では、テレビのスイッチを入れれば、何でも出てきますので、人は欲望をそそられやすいのです。ただ普通は、あなたはその情況の中で制約作用を発動させることができます。将来、高い次元で修煉する時になれば、わたしが教えなくても、どうすればよいかあなた自身が分かります。その時は、違う状態が現われてきますが、和やかな生活を保っていれば結構です。ですから、こういうことは大げさに考える必要はなく、あまり気になるとそれはそれでまた一種の執着心になります。夫婦の間には、色(いろ)の問題がありません。しかし欲望はあります。そこで淡々として、心理的にバランスが取れればそれでいいのです。』(『転法輪』〈第6講))。

 しかし自分がその状態に達しない場合、夫婦生活の面で強行して断ち切るのも過激な行為です。極端に走った結果マイナス面を齎すこともあり得ます。

 言葉はまだ足りませんが、自分の行為の偏差により、直接あるいは間接的に衆生を済度することにマイナス影響を与えないよう望んでいます。世間の人が大法に対して敵視した行為があると、この人は将来残れない結果になります。しかも今の世の中、一人が壊滅することは、巨大な天体と莫大な衆生の壊滅にもつながります。

 個人的な認識であり、妥当でない部分の指摘をお待ちしております。

 2008年10月6日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2008/9/27/186620.html