日本明慧
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後天の観念を取り除く

—息子の話から悟ったこと


文/遼寧省興城の大法弟子

(明慧日本)数日前、私は三歳の息子と一緒に「明慧週刊」を勉強しました。私が読み、彼が聞きます。

 息子は突然、私に「ママ、ぼくの心はどんな色なの?」と聞いてきました。「もちろん赤だよ」と私は考えもせずに答えました。しかし、息子は、「違う、ママ。黄色だよ、仏の心だよ」と言いました。私は一瞬びっくりしました。こんなに幼い子供が自分を新宇宙に同化する神と見なしているなんて思いもしなかったです。十数年も修煉してきた私ですら、この点を常に実行するのは出来ていないのです。

 この事から、さらに私は、後天で形成した観念は一つ一つの言動にまで浸透していますが、自覚はしていない事に気づきました。トラブルが生じた時にいつも事の是非を判断していて、自分の心がどうして動じたのかを最初に見て反省するのではありませんでした。真相を伝える際に頑固な人に出くわしたら、まず思うのは、私はすでに力を尽くした、彼は救い済度できない人です、などと考えてこの人に同情していませんでした。第一念に、自分のどこが良く出来ていないのかを探していませんでした。同修が逮捕されると、まず考えるのは同修の不足であり、最初から同修のために正念で加持していませんでした。同修の間に衝突と執着が見えたとき、自分の不足を探さず同修のために指摘してあげるべきかどうかを躊躇していました。

 長年修煉してきて、一部の執着心と後天の観念が取り除かれました。しかし、よく考えてみると、個人修煉の時期であろうと、正法修煉の時期であろうと、実際に自分の思うことと考えることについて、大半は後天で形成した観念に主導されています。まさに、この種の思想は自分の一部の物事への認識、処理において、時々刻々に正念を保つのを妨げています。これらの観念は皆、旧宇宙の私と我の理に基づいています。

 大法弟子は自分をよく修めるだけではなく、衆生を救い済度する神聖なる使命をも背負っています。しかし、真にこれらのすべてをよく行うには、根底からこれらの常人の観念を変え、人間のものを取り除かなければなりません。真の自分が主導権を握らなければなりません。これを実現させる唯一の方法は、私が思うには、よく法を勉強することです。法の中で悟った法理は岩石のように私たちの揺るぎない正念です。そうすることで、私たちが自身をよく修め、同時に衆生を一層よく救い済度することができます。

 2008年10月6日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2008/10/5/187100.html