日本明慧
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修煉の中で心性の試練に遭う

(明慧日本)近ごろ私の修煉状態は良くなく、何度かの心性の試練をよく乗り越えることが出来ませんでしたが、歩いてきた後には心の中で次のような多少の悟りがありました。

  執着を捨てる

 ネットを使って真相を伝えることを学ぶ過程の中で、多くの挫折にぶつかりました。少し順調な時は心がとても嬉しく、順調でない時はすぐ気落ちして、心がとても気鬱な感じがありました。何度もこのように繰り返し、気分はそれにつれて上がったり下がったりしました。コンピュータはいつも故障しました。心の中では、どうしてものを学ぶことはこんなに困難なのかと思いました。

 突然思い付いたのは、どうして私は順調でない事にぶつかると、こんなにも喜ばず、気分が悪いのか? 順調になると、気分がのびのびとするのか? よく修煉できた人、1人の神、1人の「真・善・忍」に同化した生命は順調かそうでないかによって気持ちが動くでしょうか? そうではないはずです。

 私たちは正念をもってすべてに対応すべきです。ぶつかったトラブルは自分を高め、自分の不足を暴露するよい機会ととらえなければなりません! 常人こそが心地良いことを求め、順調なことを求めるのです。私は常人の中で気持ちよく過ごし、心地良く過ごすことを求めていたのです! 表面上で自分は人を救うためにこれらのトラブルにぶつかったのですが、しかし師父は、個人が向上することこそが永遠に第一位のことであるといわれました。私は自分の思いどおりになりたい求める心を取り除くべきです。

  小さいことをしっかり行う

 同修の交流文の中から、私は悟りましたが、修煉者として、余裕をもって、理知的に自分が常人の中で直面したすべての小さな事に対処すべきです。すべての事に全力を尽くして真剣にしっかりと行うべきで、事をいいかげんにすます心があってはなりません。完璧を求めないで、心を尽くしてしっかりと行うときに、一切はすでに道の中にあります! 常人の中のこの事、あの事が重要なのではなく、いい加減に対応してはいけません。物事をする心理状態はとても重要です。例えば洗濯をすること、 部屋を片付けること、他人を小さな事で手伝うことなども、しっかりと行うべきです。とても小さい事であっても、修煉者の心性もそこに表れるからです。

  忍耐する

 私は最近悟りましたが、私達のぶつかるすべての事、すべての考え、すべての話は「忍」の要素を含んでいます。法の中に、「忍」の中には苦の中の苦を舐めること、辱めに耐えること、捨てること、強靱な意志と忍耐、また心性を守ることなども含まれます。私達は法の基準に従って、自分のよくない心を捨て去ることができるどうか、私が他人の言行に衝撃されて怒る時、私は忍耐をしているでしょうか? 私が偶然にテレビ、ネットあるいは路上で不健康なものを見る時、忍耐できるでしょうか? 他人の利益に嫉妬する時、私は忍耐をやり遂げるでしょうか? 私はすべてのことの中に「忍」の要素が含まれていると悟りました。法の基準によってやり遂げれば「忍」ができるのです。

 2008年10月7日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2008/9/29/186786.html