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正念をもって邪悪を取り除き、確固として大法を守る


文/カナダオタワ大法弟子

(明慧日本)偉大なる師父、同修の皆さん、今日は!

 今日は主に二つの方面で交流したいと思います。一つはカナダチューリップ祭組織委員会が天国楽団に謝罪した法を実証する経緯を紹介することであり、もう一つは最近感じた修煉の厳粛さと、自我を抜け出し、全体で向上するという会得についてです。

 一、正念を持って邪悪を取り除き、確固として大法を守る

 2008年5月2日午後5時、カナダチューリップ祭の開幕式では、最初に天国楽団の出番があるはずだったのですが、なかなか出場できませんでした。最初は出場の延期を知らされ、暫くして、開幕式の出場の取り消し、次にチューリップ祭へのすべての出演の取り消しを知らされました。

 その理由は簡単です。中共大使館の館員が出席しており、楽団のメンバー全員が法輪功修煉者で、服装や横断幕にすべて「法輪大法」の字が印刷されているからでした。

 取り消しを知らされた時、我々は皆びっくりしました。しかし、当時は金曜日の夕方であったため、すぐに主な報道機関に連絡し、邪悪を暴くことができませんでした。

 その日の夜、我々は輔導員の緊急会議を開きました。いろいろ事務的なことと、次の2週間で行う2つの大きな催しの協調に忙しいため、協調責任者はみなとても疲れて、何人かは会議中に寝てしまうところでした。それでも、月曜日に記者会見を行い、できるだけ早く邪悪を暴露するという意見をまとめました。

 邪悪にひどく妨害されるせいか、我々何人かの協調責任者は特に疲れを感じており、記者会見をする前に十分な準備ができませんでした。その結果、記者会見は予想通りの効果が得られませんでした。両者の言い分もみな報道機関によって報道され、チューリップ祭のスポークスマンはマスコミ機関を利用して、公然と我々を貶してしまいました。

 我々の疲れは邪悪が隙に付け入ったからだと意識しました。しかし、我々はこれで動揺しませんでした。その日の夜、すぐに各地の修煉者を集めて、交流を行い、全体の力で広範に深く細かく真相を伝えれば、絶対に正すことができると我々は信じていました。

 我々は既に分かっているのですが、邪悪が最も集中し、勢いがあるように見えた時は、実は我々が集中して邪悪を大量に取り除く絶好のチャンスでもあります。しかし、もし全力で当たることができず、だらだらしていれば、邪悪にチャンスを与えてしまうだけでなく、あとで正すためには更に大きな代価を支払わなければならないのです。

 2002年6月、アイスランドの事件が起きた時、現地にいないため、アイスランドで訴訟を起こすことはとても難しいと思い、アイスランドで訴訟を起こすかどうかを躊躇しました。2002年9月にアイスランド政府の役人と対話しても全然進展がありませんでした。2003年2月に再びアイスランドで訴訟を起こす必要があると考えた時、もう時期を逃してしまったと気づいたのです。その後アイスランドで訴訟を起こして、ある程度正すことができたとはいえ、やはり事件が起きた当初すぐ訴訟を起こしたほうがずっと効果が良かったと思います。

 正と邪が真正面から戦う時には、師父が法を正す角度から考えるべきであり、個人の立場で、難しいかどうかを判断してはいけないことはよく分かっているのです。そこで、我々の何人かは一致協力して、全力を挙げてチューリップ祭の後2週間足らずの期間中にこのことを正すそうと決心しました。

 程度は違いますが、我々一人一人がみな妨害されて、報道機関への声明が思い通りに進みませんでした。しかし、我々はお互いによく補い合い、一つの全体を形成し、とうとう声明が出来上がり、チューリップ祭のスポークスマンの虚言を徹底的に暴きました。それから、プレスコミュニケをチューリップ祭の組織委員会、マスコミ機関や役人に送付し、一部の修煉者はこれをきっかけにたえず役人とマスコミ機関に真相を伝えました。

 すると、真相の分かった市会議員はチューリップ祭組織委員会を詰問して、省議員のRANDYHILLIER氏は議会で「明日、法輪功が伝えられて16周年を迎える際に、私は中国共産党の法輪功への弾圧反対を表明します。先週、オタワチューリップ祭組織委員会は中国大使館と組んで法輪功団体の参加を禁止しました。省政府はチューリップ祭組織委員会に30万カナダドルを支給したのに、それらのお金を法輪功弾圧に使ってしまったのです」と講演しました。この事件はカナダ政府の首脳部を驚かせ、「オタワサン」という新聞のアンケート調査ではかつてない1万人に上る読者からのフィードバックを得て、チューリップ祭のスポークスマンが事実を歪曲して、我々を貶したとはいえ、やはり69%の読者は天国楽団の出演を禁止することに反対したのです。「オタワサン」も我々の次の行動——もしチューリップ祭組織委員会が謝罪をして、天国楽団の出演を要請しなければ、我々は法律の手段に訴えるしかない——と報道しました。

 我々は真相の力、全体の力を感じ取りました。マスコミ機関の報道も積極的な方向に向かうようになりました。

 「法は確かに衆生に慈悲深いのですが、しかし威厳のあるものでもあります」(『2003年旧正月十五日米国西部法会での説法』)。我々はやはり法律の手段に訴える前にできるだけ全力を挙げて真相をはっきりと伝えるという「万能の鍵」で解決しようと考えました。

 我々が重ねて要求したため、組織委員会の会長は5月11日の日曜日に天国楽団の代表と会うことに同意しました。しかし、会ってから気付いたのですが、最初、組織委員会は謝罪の誠意を全然持たず、ただこんなことが起きてとても遺憾だという共同声明を天国楽団と一緒に発表すれば済むと考えており、自分たちの過ちに対して全然責任を負おうとしなかったのです。つまり明らかに彼らは法輪功の真相と事実がまだ分かっていなかったのです。天国楽団の代表が事実の真相を彼らにはっきりと伝えたら、彼らは非常に驚きました。

 その日の夜、我々はまた天国楽団と各地の修煉者を集めて、交流しましたが、その結果、チューリップ祭のやり方は衆生への救い済度に影響を与えたと同時に衆生も壊滅しており、原則に関わる問題に関しては譲ってはならず、謝罪は最低限の要求であるという意見をまとめました。

 2001年に師父が発正念の言葉「現世現報」を教えてくださった時、当時の法を正す進展、大法の威厳と慈悲をすべてこの言葉を通して明示してくださいました。それは邪悪を窒息させ、衆生を救い済度する重要なルートでもあるのです。もし我々が問題に出遭うときに皆正念で対処し、師父の賦与して下さった神通を使うようにすれば、広範な「現世現報」は必ずそれにより現れ、我々もできるだけ早く迫害を終わらせることができるのです。師父は「相生相克の理には将来、変化が生じます」(『精進要旨』<誰のために修めるか>)と言われました。大量の「現世現報」は相生相克の理の変化を促すことができます。というのは、法がこの世を正した以降に佛法を迫害することはもう許されないからです。

 5月12日(月曜日)の午前に、組織委員会が起草した天国楽団との共同声明の原稿を受け取りました。しかし、内容はただ遺憾の意を表しただけで、謝罪の言葉が全然ないどころか、かえっていろいろ弁解の言葉が書かれていたのです。

 正念を固めなければならないと我々は思いました。何人かの協調責任者はすぐに交流を行い、次の三つのことを合意しました。一、天国楽団の出演を取り消したことは組織委員会の間違った決定である。従って、組織委員会は謝罪声明を発表し、損失を挽回しなければならないこと。二、チューリップ祭のスポークスマンと組織委員会は別々に謝罪しなければならず、いかなる弁解も謝罪の意を弱めることをはっきり指摘すること。三、改めて天国楽団を要請し、チューリップ祭の閉幕式に出演させること。

 午後、我々は組織委員会に以上の三つを提案しました。5分後に、組織委員会から電話がかかり、先ず、チューリップ祭のスポークスマンが謝罪を承知することを伝えてきました。そして、30分も経たないうちに、また電話がかかってきて、三つの提案を全部認め、改めて謝罪声明を起草することを伝えて来ました。

 その日の夜9時、組織委員会が起草し直した声明を受け取りました。声明の中で、組織委員会は天国楽団に謝罪し、チューリップ祭のスポークスマンは天国楽団と法輪功に対して深く謝罪をし、十分な誠意が伝わりましたので、我々はこの謝罪声明を受け取りました。

 しかし、その後に、翌日の午後6時にマスコミ機関に対し謝罪声明を発表することになっていると組織委員会が教えました。それは邪悪が暴かれるのを恐れており、報道を遅らせようとしたのだとすぐに我々は分かりました。

 逆境の中で我々は動じませんでしたが、順境の中でも頭をはっきりさせて、旧勢力の按排を否定しなければならないことを我々ははっきりと分かっているのです。正に師父の言われたように「いかなる佛、いかなる道、いかなる神、いかなる魔に対しても、心が動じることがなければ、必ず成功するに違いありません」(『転法輪』)。

 虚言を暴き出し、更に多くの衆生を救い済度し、謝罪声明が広範囲に報道されるように、マスコミに携わっている1人の同修はすぐ主なマスコミ機関にこの情報を一社一社に知らせました。そうしたら、各マスコミ機関が相次いで組織委員会に事情を聞いたので、組織委員会はやむを得ず繰り上げて謝罪声明を発表するしかありませんでした。このようにして、声明がより早く報道され、それにより、広範囲にわたって有効に邪悪を暴き、邪悪を窒息させることができました。

 2008年5月18日午後1時に、トロントからの50数人の天国楽団のメンバーがオタワのメンバーに加わり、チューリップ祭で「法輪大法は素晴らしい」と「法正乾坤」という曲を演奏しました。

 組織委員会の会長は自ら迎えに来て、わざわざ応援に来た支持者を含めた千人あまりの観衆と共に1時間くらい天国楽団の演奏と蓮芸術団の舞踊を楽しみました。出演の盛況は観衆たちに褒め称えられ、マスコミ機関にも報道されました。師父が『米国中部における説法』の中で言われた「邪悪が悪人を利用してわたし達を破壊するたびに、実はわたし達のことを広めていることになっています」をもう一度身を持って体験しました。

 二、大法に同化し精進してやまず、全体に圓容し自我を取り除く

 近年来大法を実証するプロジェクトがますます多くなり、いろいろ事務的に多忙な中で、精進して確実に修める心がだんだん弱くなり、いつも行うことの量や成功するかどうかを精進の度合いと看做し、心を鎮めて法を学ぶ時間がとても少ないのです。前述したチューリップ祭で経験したこともそうですが、慈悲なる師父の加護のおかげで、確かにたくさんのことは全体の協力の下で成し遂げられました。しかし、私の執着はずっと溜まっていて、別にその過程で取り除かれておらず、自分を実証する心もだんだんと膨らんできていたのです。

 去年、北米佛学会のネットミーティングの時、オタワで神韻芸術祭を主催した経験を紹介しましたが、他の協調担当者の時間がとても大事なのに、私はだらだらと30分も細かいところまで話しました。当時自分の自己顕示欲と自分を実証する心にまだ気づいていなかったのですが、今思い出すと、自分は全然他人のことを考えていないと気づくようになりました。

 去年のクリスマスの間、我々は先ず師父の『オーストラリア修煉者への説法』のDVDをみんなで学び、後で神韻芸術祭に関する最終的な配置について討論することを決めました。DVDの放映が終わるや否や、私は自分の担当したマーケティング戦略が如何に大事であるかを強調するような発言をしました。そうしたら、「あら、また自分のことを強調しているね。師父が教示されたばかりじゃないの、やり方そのものはそれほど大事ではありません。大事なのは全体の協力なのです!」とある同修は大声で注意してくれました。

 今年の1月に神韻芸術祭が終わったあと、法に溶け込むことができず、確実に修められないことがもたらした心身の疲れを深く感じました。その時、やっと終わった、一息つこうという一念を持っていたため、よく寝過ごして、2、3カ月の間ずっとその状態に落ち込んでいたのです。

 そこで、私は法の学習に力を入れて、毎朝起きてから先ず『転法輪』を1講読み、煉功してからほかのことをやるようにしました。そうしたら、だんだんと好転の兆しが見えてきました。私は良く感じるのですが、修煉への最大の妨害は別に事務的な忙しさではなく、それは長期に亘り心を鎮めて法を学べないことなのです。このような状態が続くと、それは辟穀と同じように、どんどん自分のエネルギーを消耗してしまうのです。

 ある同修が交流する時に「法の中で既に人と神がことをする時の区別を教示してくれた」と発言しましたが、その言葉を聴いていろいろ考えさせられました。確かに常人は意念が四肢や感覚器官を支配して働かせるのに対して、修煉者は意念が功能を支配して働かせるのであり、神仏は手足を動かさずに直接神通を使って行い、瞬く間に成し遂げるのです。今我々は真相を伝えることにおいては、報道機関や法律、役所を良く利用するなどのたくさんの経験を積んできました。しかし、それは歯を抜く時に「マッチ棒」から「西洋医学の精密機器」に発展したと同じように、我々はますますそれらの世間に現れた有形のものを重要視するようになり、かえって形のない「水薬の黄色の気」を疎かにしてしまったのではありませんか?

 たえず法を学び続ける中で、私は気が付いたのですが、主意識を必ず強くしなければなりません。さもなければ、後天的な執着や観念、思想業力などに妨害されて、集中できなくなり、落ち着いて法を学ぶことができなくなるのです。だから、私は強い主意識を持って各種の妨害要素を排除するようにしました。そこで、法を学ぶ時に絶えず「煉功するその人が功を得る」という玄妙さを体験し、確実に修める心がまた強くなってきて、また修煉のことに真剣に対処することができるようになりました。

 数週間前に起こったことはまた私をいろいろ考えさせました。その日、ある同修が尋ねてきましたが、母親は声もかけず、ノックもせずに直接その同修を私の事務室に連れてきました。その時、事務室はとても乱雑であったため、私はちょっとバツが悪かったのです。同修が帰った後、私はすぐ母親を呼んで、厳しく叱り、これから私の許可がなければ、絶対に同修を直接事務室に連れてきてはいけないと言い渡しました。

 しかし、その時私は急に自分の修煉における二つの致命的な問題に気づきました。一つは自ら進んでではなく、いつもトラブルが激化して、どうしようもなくなった時に受動的に執着を取り除くこと、もう一つはトラブルに遭った時、いつも他人を変えようとしており(例えば母親を変えようとする)、全く内に向かって探そうとせず、更に自分の執着を隠そうとすることです。

 師父が『北米での巡回説法』の中で説かれた旧勢力に関する説法を再び学んで私は非常に驚きました。師父は「それらは自分を守るという私心を隠しており、みな他人を変えようとしていますが、自分を変えたくありません。皆自分に触れたくなく、ひいては自分が執着して放さないものを最大限に守っています」と言われました。自分では形式上で旧勢力を否定しているように見えますが、実は知らず知らずの内に旧勢力の按排に落ち込んだのだと、その時気づきました。私は修煉を緩めてしまい危なくなってきたと急に感じました。

 その日から私は1日に『転法輪』を1講から2講まで読むようにして、ずっと今まで続けてきました。「忍び難きは忍びうる。行ない難きも行ないうる」(『転法輪』)ように、ちょっと睡眠時間を減らせば、それは別に難しいことではないのです。

 そうしたら、ごく短い数日間過ぎただけなのに、自分が別人に変わったように感じました。周りの同修も私の変化を目にしました。妻からも「あら、急に若返ったね」と言われました。時には体中のすべての細胞や生命の源が皆大法に溶け込んだように感じており、その喜びはとても言葉で言い尽くせません。そして、時々道を歩いている時に道端にある石や木がみな挨拶してくれるように感じ、座禅する時、1時間の間ほとんど禅定に入ることができるのです。

 またトラブルが起こる時、師父の教示された「逆の理」で対処するように自分に注意すれば、すぐその関を乗り越えることができるようになりました。

 ある時、ある同修とトラブルが起こった時、「いいこと」が来たと知っているので、その関をすぐに乗り越えたかのように見えました。しかし、まだ執着を完全に放下していなかったので、数日後に、やはり常人の理で考えるようになり、その同修に取り合いたくなくなり、道で会っても知らん振りをしていました。夜に法を学ぶ時、修煉を真面目に対処し、この関をてきぱきと乗り越えるようにしなければならないと強く感じました。翌日の朝、私はその同修に電話をかけ、彼女の担当したプロジェクトについて自分の意見を述べました。そうしたら、2日後に、私たちが一緒にこのことを処理する時、思いがけないことに何カ月かかっても解決しなかったそのことがただの数分間でほとんど解決したのです。

 そこで、私は急に悟ったのですが、法を正すことが今日に至り、たくさんのプロジェクトにおいて、更に広範囲に全体で協力し、更に、全世界のすべての大法弟子が参与し、協力しなければ、師父が法を正される勢いに追いつくことができず、更に多くの衆生を救い済度するという師父の願望に適うことができないのです。

 私は自分がこんな考え方をずっと持っていると気づきました。つまり、自分が協調責任者だから、周りの同修が協力してくれるのを望んでおり、大法弟子なら、誰でも協調責任者であることを良く悟っておらず、師父の説かれた「われわれ法輪大法の修煉は一脈が百脈を率いるという形式を避けて、始めから百脈を同時に開かせ、百脈が同時に作動するようにします」という法理(『転法輪』)をよく理解していなかったのです。もし私が本当に自我を放下し、できるだけ同修に協力して、足りないところがあれば、黙々と補うようにすれば、往々にして、奇跡が現れ、全体として進展することができるのです。

 弛まず法を学び続けたら、長年溜まっていた執着、更に花崗岩のような執着も溶鉱炉に投げ込まれた木屑のように、瞬く間に溶けてしまうように感じました。師父の限りのない法力、大法の威力をつくづく感じました。師父が私を更に高い次元に押し上げられる時、『転法輪』を読めば、更に新しい法理が私の目の前に展開され、心性を高める新しいチャンスもやってくるのです。

 ある時、ある同修の提案したわりと重要な議題に随分時間が経っても、誰もが返事していないのを見て、私は好意を持って返事をしました。しかし、思いがけないことに、これで大騒ぎになりました。ある同修は2カ月半前に私の送ったメールを取り上げて、私が嘘をついたと説明しようとしました。そして、もう1人の同修も自分の理解に基づいて、私がまた別の嘘をついたと証言したのです。

 それを見たら、心性を高めるよいチャンスがやってきたとすぐ悟り、同修に感謝する気持ちでいっぱいで、全然辛く思いませんでした。しかし、後で私はまたすぐ自分の問題点に気づきました。自分はやはり「私(し)のために」という基点に立って物事を見ていたのです。というのは最初に思い付いたのは自分が辛く思わないということであり、別に相手のことを真っ先に考えたのではありません。自分が返信をするとき、好意を持っていたつもりでしたが、実は相手の身になって考えるのではなく、手紙に相手を傷つけた部分があるのです。

 それから、自分には責任を逃れる私心を持っているとも気づきました。私はこういう言い方には大賛成ですが、つまり常人の間のわだかまりを解くには解釈という方法を使えば良いのですが、修煉者の間のわだかまりを解くにはお互いの心性の向上によりそれを実現するのです。だから、私は弁解のメールを送らないことにしました。その日の夜、『転法輪』をめくったら、師父の肖像が私に向かって微笑んでおられるのを見ました。

 今、師父の「億万年の按排では現在は最後の時刻になりました」(『二〇〇八年ニューヨーク法会での説法』)というお話を読む時、修煉の厳粛さをかつてなく感じるようになり、神へ向かう道のりで奮い立ってまっしぐらに追いかけようと決心しました。また.「師父がこの世で遭った魔難、このような圧力は毎日、幾万件にも留まりません」(『二〇〇八年ニューヨーク法会での説法』)とも言われましたが、師父が我々のために少しでも気を使われることのないように、これからよく法を学び、内に向けて探すように頑張っていきたいと思います。

 師父は『長春輔導員法会での説法』の中で「高次元の生命もいつも私に言っていますが、皆さんがここで大法のために貢献することができることは、皆さんの将来の生命のために相当長い今後の歴史時期において非常に良い基礎を築きました。つまり、彼らも皆さんのことを羨ましく思い、彼らにもこのようなことをする機会はありません」と教示してくださいました。そして、『転法輪』の中で「わたしが末劫の最後の時期に再びそれを広く世に伝えましたが、この意味で、それはきわめて貴重なものです」とも教えてくださいました。この言葉を再び読むと、師父のご恩に感謝する気持ちと自分の怠慢に対する恥ずかしい気持ちが入り混じって、思わず涙を流してしまいました。

 最近、ある同修は電子メールの中で法を正す時期の機縁を大事にし、『法を正す時期の大法弟子』という経文を再度学ぶようにと提案してくれました。師父は既に私たちを非常に高い次元に押し上げられましたが、法を正すこの最後の時期に怠ってはならないと私は強く感じました。ここで『法を正す時期の大法弟子』の一部を取り上げて、皆さんと共に励まし合いたいと思います。「修煉と法を正すことは厳粛なることで、この時期を大切にできるかどうか、ということは、実は、自らに対して責任を負えるかどうか、ということなのです。この時期は長くはないでしょうが、異なる次元の偉大なる覚者、佛、道、神から異なる次元の主に至るまで、その威徳を鍛え練りあげることのできる時期であると同時に、自らをゆるめた修煉者を、すでにいる非常に高い次元からあっと言う間にだめにしてしまう時期でもあります」。

 師父、ありがとうございます。皆さん、ありがとうございます。

 (二〇〇八年ワシントンDC法会発言原稿)

 2008年10月8日

(中国語:http://minghui.org/mh/articles/2008/7/21/182459.html