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純正で偉大な神韻


文/ヨーロッパの大法弟子

(明慧日本)偉大なる師父、こんにちは。同修のみなさま、こんにちは。

 私は修煉を始めて14年目になりました。歩んできた修煉の道を何度振り返ってみても、どうも自分の成熟は遅いと感じていました。しかし成熟していなくてもやはり精進すべきだということも感じていました。過去をふりかえってみて、乗り越えられないような困難と障害は存在しないと思っています。

 今年の春、スウェーデンで神韻公演が行われました。協調者の1人として、後方支援の仕事を任されたため、1カ月の間、神韻芸術団と4カ国を回る機会がありました、その体験から多くのことを学びましたので、ここで皆さんと交流したいと思います。

 新年祝賀祭の手伝いに参加したのは数年前です、2回ほど協調者として参加しました。1回目は楽でしたので、まずまずでしたが、2回目の時には辛くて、今後二度とどんな公演にも参加しないと決めました。修煉の中で最も辛い心性の試練でした。先が見えず、どこから手をつければよいのか、同修の間の協調が欠けることは心性上の大きな難でした。ましてや、言葉の壁もあり、仕事に支障を齎しました。けれども、師父の助けのもとに、皆さんのたゆまない努力のお陰で、最後の結果は円満でした。互いに協調し合い、そして交流し、協力し合わなければ、どれだけ厄介な状況に陥るのかを自分の体験から学びました。しかし、誰かが公演の話を少ししただけで、直ちに胃の調子が悪くなり、もう二度と協調者として公演に参与したくないと思っていました。

 しかし、あれから何年も新年祝賀祭の交流会に参加しています。私は初めのころ、ここにいてはいけないと思いましたが、大法弟子として、偶然な事は何一つないとよく分かっていました。2回目の交流会に参加しなかったとき、神韻公演の仕事に参与したくないという考えは間違っている事に気付き始めましたが、以前参加したときに経験した惨めな孤立感を振り払うことが出来ませんでした。

 正法の進展に応じて、新年祝賀祭は神韻公演となりました。徐々に自分の恐れる心を取り除くことができましたが、2007年の神韻公演がスウェーデンにやってくる際「協調者の仕事に参加しないか?」と聞かれた時に、依然として、やはり胃の調子が悪くなりました。大法が私たちを必要とする時に、大法弟子としては、出て行かなければなりませんが、あのような圧力と責任に耐えられるのか? と考えると、自分を説得することが出来ませんでした。甚だしきにいたっては、公演をここで上演しなければいいのにとまで思ってしまいました。

 神韻公演は去年スウェーデンでは行われませんでした! もちろん、自分もまだ成熟しておらず、基準にも達していませんでした。しかし、私たちは成熟しなければなりません。障害と妨害を克服し、基準に達し、しかも迅速でなければなりません。

 今年になって、神韻公演がやってきました! このような機会を与えられたことに、心から感謝しました。

 ・ 神韻は正気凛然として、動揺せず

 神韻芸術団がスウェーデンに滞在している間、雑用に追われ、彼らがいろんな場面において、どんなに純正であったかに留意しませんでしたが、フィンランド、ルーマニア、イタリアで、彼らがどれほど懸命に励んでいたか、そして、その場がどんなに純正なものだったのかを目にしました。何時、何をすべきか、どうすべきかをすべての団員が知っていました。彼らは時間を厳守し、自律的です。必要があれば、いつでも現地の学習者を待ちます。妨害があれば、直ちに正念を発し、ハードスケジュールであっても、時間を作り、煉功し、学法をしています。

 一度、ある若い学習者が衣裳を着替えて、出番を待っているとき、立ったまま学法しているのを眼にして、彼らの確固不動な心を感じとりました。芸術団の全体は互いに助け合い、支え合い、少し年長の弟子はより多くの責任を引き受け、他の人より早く起き、技術チームの設備設置の手伝いをします。そして公演を終えたら荷造りと設備の片付けをして最後に帰宅します。彼らの仕事ぶりは段取りがよくとても素早いのです。私は本当にかれら若い学習者に敬服し、彼らが衆生を救い済度するために払った努力を知る機会を与えられたことに感謝しました。

 ここで、神韻公演で技術と舞台を担当する学習者のことに触れたいと思います。彼らは一日中仕事をしていますので、食事の番が回ってきたときに、常にご飯が冷めてしまっているか、なくなっているかのどちらかです。もっとも頻繁にあることは、食事をする時間がないことです。神韻芸術団の年長の団員も公演の後に食事を摂ります、時には冷めたお粥しか飲むことが出来ないこともあります。しかし、かれらから一つの愚痴も聞いたことがありませんでした。

  ・倹約

  神韻芸術団がどれほど倹約に気を配っているかを皆さんにお伝えしたいと思います。芸術団はいつも必要でない出費を減らす事に心掛けています、金額の大小に関係なく、細かく綿密に検討します。例を一つ挙げると、ストックホルムからルーマニアまではバスで何日もかかりますが、飛行機代を節約するために、バスを選びました。全日程は3日もかかり、ストックホルムで見送られた彼らは3日後にやっとブダベストに着きました。かれらは定刻に着くために一日中連続して運転します、目的地に着いたときには大変疲れている様子でしたが、それでもちょっぴり嬉しそうでした。

  ・宝石のように貴重な舞台衣裳

  舞台衣裳のアイロンがけは大きな仕事の一つです。以前、私は衣裳のディザインを習ったことがあるので、これは難しいことではないと思っていました。しかし神韻の衣裳には飾りとスパンコールがついているので、話はまた別でした。長時間仕上げの仕事をしましたが、うまくこなすことができませんでした。

  イタリア公演の時、衣裳をチェックする時間があり、衣裳についている数多くのスパンコールが取れていることが分かりました。いつ、こうなったのかは分かりませんが、きっと私が担当した時に起きたことだと思います。特にルーマニアでの公演のとき、地面に落ちていたスパンコールを見つけたことがありました。他人を攻めることはできません。私の責任です。慎重に舞台衣裳を扱わなかったからです。もし、あの時、今のように、これらのコスチュームの由来と学習者たちが公演のために払った多くの努力を知っていたら、もっと慎重になっていました。

  すべて神韻の公演とかかわりのあることは、みな、由々しき大事なことだと思います! 芸術団の舞台衣裳も例外ではありません。学習者たちが衣裳、帽子、飾りなどを制作するために、どれほどの努力と時間を費やしたことか・・今でも想像もつかないほどです。神韻芸術団は400着の衣裳を持っています。みな、手が込んでいます。ある一着の衣裳は6日間かけて仕上げたと聞きました。このような舞台衣裳が数多くあります。仕上げをする全ての学習者が、たくさんの時間を費やしてこの小さな飾りを一つずつ縫い付けたことを思えば思うほど、彼らに申しわけない気持ちになり、自分がもっと気をつけて舞台衣裳を扱わなかったことを後悔しました。これらの衣裳は幾多の工程を経た宝石のように貴重なものなのです。

  神韻芸術団に着いて、各地を回ることは本当に素晴らしいことです! 公演の手伝いに参与した際、たくさんの啓発を受けました。後方支援の仕事をしましたので、1回の公演を完成させるために、どれぐらいの人手が必要とされるのかがよく分かりました。かれらがどれほど自律的であっても、100人以上の学習者の面倒を見るのは簡単な事ではありません。食事を担当する学習者の仕事量はかなりのものです。想像してみてください。100人以上の団員たちのお昼と夕食、人の出入りの激しい不定時の食事、400着の舞台衣裳をアイロン掛けする学習者の食事、セキュリティとマスメディアを担当する学習者たちの食事、何人かの年配の学習者が何日もたてつづけに、朝から晩まで皆の食事を作ったのです。

  スウェーデン公演の時に、全員が困難を克服して、多くのスウェーデンの衆生を救い済度できたことを感じました。公演が私に最も深い印象を与えたのは、あれこれの困難ではなく、すべての同修が一つになって払った努力と、その後に私たちの間に残った互いに信じ合う心でした。もし今後、私たちに心性の関と心性の試練があっても、やり遂げることができます。

  大勢の学習者が時間を作り、来る日も来る日もチケット販売とチラシ配りに励みました。皆さんの努力があったからこそ、スウェーデンの公演を円満に終えることができました。もし、皆さんがおられなければ、スウェーデンでの公演もありませんでした。

  心から師父がこの貴重な機会を与えて下さった事に感謝します。スウェーデン、フィンランド神韻公演の実現に参与した全ての皆さんの活動に感謝します。

  皆様、有難うございました!

 (2008年、北欧法会の発言原稿より)

  2008年10月8日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2008/7/18/182254.html