日本明慧
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闘争心について


文/大陸大法弟子

(明慧日本)私が数日前に買ったスカートが半日で破れたため(買う時に検品しなかった)店に行って取り替えて貰おうとしました。店員がそれは洗濯機を使ったからだと言い訳しました。説明しても彼女は話を聞いてくれないので、私は言えば言うほど怒りがつのり、最後に怒鳴りちらしてこのスカートは要らないと言い残し、甚だしきに至っては自分を顕示する話を言って帰りました。

 家に帰る途中でだんだんおかしいと思いました。さきほどの態度は話になりません。どこが修煉者でしょうか? まったくの常人で、常人にも及ばないほどでした。その時意識したのになぜ我慢できなかったのでしょうか? 心の中に、徳を失うと思いつつも、またずる賢く「私はあの100元あまりのものを捨てたから、それで相殺になる」と思いました。よく考えたら、ものを捨てることが、喜捨になるでしょうか? 明らかにふてくされた行為です! 思えば思うほど後悔して、しかし後悔して咎めても意味がなく、転んだままではいけないのです。忍の中に捨があり、修煉も9年余り経ったので更に俗世間のすべてを引き続き放棄しなければなりませんでした。しかし時々かっとなることはきっと別に原因があるのでしょう。闘争心、そうです! きっとそれが災いしているのです! きょう私はそれを分析して、徹底的に取り除きます!

 (1) 闘争心の先天要素と家庭環境

 私が育った環境は、両親ともに気が短い家庭でした。幼いときからいつも両親の口論を見ていたので、彼らの口論の時の言動に染まってしまい、成人になった私の語気と仕草はとても両親に似ていました。性格がその顔に現れるのです。結婚後、子供の行為に対して厳しく要求したものの、ずっとよい生活習慣と真面目な勉学態度を育てることができず、いつも些細な事で怒ってしまいました。このためにとても悩んで、過ちを後悔しましたが、その繰り返しばかりでした。修煉し始めてからいつも師父の「小さなことも乗り越えられず、かんしゃくを起こしたりしていて、功を伸ばせるとでも思っているのですか」(『転法輪』)の部分を読んで、長い間「忍」をしっかり修められないのは最も肝心な部分で、しっかりと学法する決心がない事が原因である他に、後天に育った環境に関係があります。これからはこの方面の自立もしっかりしなければならないと思いました。

 (2) 悪党文化の闘争心の要素

 80年代の初めに私は師範大学の政治教育の専門課程に入学して、系統的に4年間マルクス・レーニンの邪悪主義の毒害を受け入れました。成績が良くなればなるほど害毒も深いのです。マルクス・レーニンの邪悪主義哲学の中核は「闘争論」で、これを最初から無条件で受け入れました。全面的に受け入れてさらに生徒に教える事を経て自分の中で道が一層根強くなりました。

 (3) 大法に対して厳粛でない

 常人の私に対する評価は、生まれつき善良で、善意を持って人を助けるなどでしたが、自分の修煉前のことを顧みれば幼い頃から思いつめ勝ちで、人と是非を論じて、覇を争いました。一つの小さな問題に対しても、意見が違ったら、どうしても理非曲直を正さなければならず、顔を真っ赤にしていました。両親に対しては親孝行はしますが、服従はしませんでした。大法を得てから師父が言われた「殴られても殴り返さず、罵られてもやり返さない」法理を正しく理解していませんでした。最初これを読んだとき、「これを誰がやり遂げることができるのか?」と思ったことがあります。大法は最高の尊厳と神聖さを持っています、この上ない幸せでこの宝の宇宙の大法を得たのに、これを自分の精進修煉の原動力にせずに、かえって曲解してしまいました。これは師と法に対して大変失礼なことです。

 特に最近私は正法の終わりにとても執着しています。今思い出しても本当に恐かったです。連日私は怒り—かっとする—咎める—気落ちするという状態の中でうろうろしていました。しかし心の中は依然として、「私は大法弟子であり、私は決してこのまま終わりたくない、さもなければ非常に危険なことだ!」と思いました。冷静になって私は強大な正念を発してこれらの「自己」のように見えるが自分ではないものを排斥しました。同時に1999年法を得た最初に師父が説かれた法理を思い出しました「これほど大きい法が人類社会で伝えられ、一人の人間を容れようと思えばいとも簡単なことです。最も簡単な例を挙げて説明しますが、溶鋼に木屑が落ちたら、瞬時にその姿が見えなくなります」(『北米第一回法会での説法』)。私は、本当に一心に法を勉強すれば、必然的に自分のミクロのミクロからの要素をすべて法に同化させることができ、最後まで神への道を固く歩いていけると信じています。

 2008年10月9日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2008/9/30/186857.html