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馮蓉霞さん、上海女子刑務所の迫害で重病

(明慧日本)法輪功修煉者・馮蓉霞さん(43)は2007年9月17日に上海女子刑務所に送られて以来、月1回ほどのペースで10回以上も刑務所の病院に入院した。馮さんが重病を患っているにもかかわらず、上海松江女子刑務所の警官は馮さんに修煉をやめさせようと、寒い日に受刑者を使って意識が無くなるまで強打させた。また、冷たい水を馮さんに浴びせて目を覚まさせ、再び蹴ったり殴ったりした。

 馮さんは、上海市閘北区彭浦新村1565弄46番106室に住んでいた。17歳から再生不良性貧血を患っており、輸血をしなければならないため、毎年、半年間は病院に入院しなければならなかった。それでも病状は一向に良くならなかった。そのため、家庭に経済面だけではなく、精神的な苦痛をもたらした。1998年8月、馮さんは法輪功に出会い、修煉し始めた。たった1カ月で検査値は正常になり、重病を患っている人に奇跡が起きた。それから、馮さんの人生は大きく変わり、気分もよくなり、楽しく愉快な生活を送っていた。

 1999年7月、中共政権は善良な法輪功修煉者に弾圧と迫害を加え始めた。2006年12月1日、閘北区「610弁公室」の6、7人の人員は、ドアをこじ開けて馮さんの自宅に不法に侵入した。6台のパトカーと武装パトカー1台、警官75人、私服警官数人で、馮さんを強制連行し、警棒も使ったという。家族たちは泥棒のような不法侵入に抗議したが、家族も一緒に連行された。

 馮さんは閘北留置場に不法監禁されている期間、迫害によって免疫力が低下し、熱を出して以前の病気の症状が現れた。留置場の悪い環境の下、性病の受刑者と一緒に監禁され、衣服も一緒に洗濯したため、馮さんに性病が感染してしまった。そして刑務所の病院に二度入院した。

 馮さんの家族は、馮さんを釈放するように閘北区「610弁公室」に申し出したが釈放されず、2007年16日に不法に3年半の判決を言い渡された。

 馮さんは2007年9月7日、上海市女子刑務所5区の1分区に送られた。刑務所の警官らは馮さんに修煉をやめるという保証書、反省文を書かせようとしたが、馮さんは断ったため、朝7時から夜9時まで立たされ、昼食の時間はわずか15分しか与えなかった。警官は、馮さんが伝染病をもっていることを口実に、風呂もトイレも使うことを禁止して尿器を使わせた。尿器の洗浄はほかの受刑者にさせた。目的は馮さんに対する憎しみと怒りを掻き立てるためで、受刑者らを利用して、馮さんが信仰を放棄するように迫った。

 上海松江女子刑務所は馮さんが重い病気であることを知りながら、馮さんに対して迫害を続けた。2008年7月、馮さんは病院から刑務所に戻され、1カ月だけで体重は3.5キロも落ちた。家族が面会に来たとき、馮さんの腕は紫のあざだらけで、青白い顔も頬だけ赤く腫れていた。

 この1年間、馮さんの両親は派出所、閘北区「610弁公室」、留置場、刑務所、区の裁判所、市区の検察院、市投書陳情する機関、市の婦人聯合会、市人民代表大会、市政協委員会、市の法管理局、市の紀律検査委員会、市監獄管理局、市区赤十字会の間を往復した。不法な判決に対して弁護士を立て、上告した。結果は2次裁判をしないという通常にない判決を維持した。その原因は態度が悪いからという理不尽なものだった。家族は数回刑務所と交渉し、馮さんの健康問題を理由に釈放を求めた。家族らは馮さんの体を心配し、関係部門に手紙を送り続け、1日も早い馮さんの釈放を要求した。しかし、どの部門も責任を負わないといい、今のところ明確な返答はない。

 入所当初、家族らが病院へ行くための一時出所を求めたときは、国保や町の管理会、区の「610弁公室」、派出所は「馮さんの病気は一時出所の条件に符合している」と答えていたが、今になって、彼らは馮さんに対して「あなたの病気は死にはいたらない。一時出所で病院へなんか行かせない、あきらめろ!」と威嚇している。

 (注:法輪功修煉者を迫害している主要な責任者らの情報は、中国語のページを参照)

 2008年10月12日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2008/10/9/187358.html