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黒竜江省:五常市の張玉娟さんが受けた迫害の経緯

(明慧日本) 黒竜江省五常市の張玉娟さん(45歳女性)は、1998年4月から法輪功を修煉して以来、「真・善・忍」に基づいて自分を律し、良い人になり品格と徳の高い人になるよう努力して来た。職場では勤勉に勤め、同僚からの評判も良い。また家庭においても良い母親、良い妻であり、隣近所の人たちからも善良で強靭な女性であると言われていている。しかし、このような良い人が何度も中国共産党の迫害に遭い、彼女だけでなく、その家族まで多大な苦痛をもたらされた。

 2000年11月16日、張玉娟さんは真相を伝えるために上京した際、五常市公安局副局長・鎭樹森、政保科・劉芳らは張さんの勤め先の保衞科に圧力を加えて、彼女を北京から強制連行させ、留置場に送り迫害を行った。7日後、警官は根拠のないまま、彼女から1千元をゆすり取ってやっと家族に迎えに来させた。

 2001年旧暦12月28日旧正月の前、五常市の公安局は天安門偽自焚事件を利用して、現地のすべての法輪功修煉者に対して大掛かりな逮捕と迫害を施した。公安局は張玉娟さんの勤め先に、「もし保証書を書かなければ労働教養所に送る」と指示を下した。邪悪な迫害を免れるために、彼女は旧正月も家で過ごすことなく、自分の心から愛する夫と息子から離れて外で放浪生活を強いられた。

 2002年10月16日、国保大隊警官・戦志剛は他の警官を連れて、車で張玉娟さんの勤め先に行き、彼女を洗脳センターに送ろうとした。警官・戦志剛は「洗脳班に送らなかったら仕事の職を除名する。彼女の給料と賞金をかける」と直接その勤め先に圧力を加えた。張玉娟さんはその日は出勤しなかったため、警官の思い通りにすることはできなかった。

 2003年6月、610弁公室のリーダー傅艶春は莫振山とぐるになって、彼女の勤め先にやって来て保証書を書くように強要し、書かなければ子供を大学に行かせないと脅かしたが、その後、未解決のまま棚上げになっている。

 2004年6月9日、戦志剛と傅艶春は部下を連れ、4人は車で張玉娟さんの家へ彼女を強制連行しようとして、戦志剛は、彼女に「何人か知らない人を逮捕したので、確認してもらう」と言って、彼女を騙して洗脳班まで連れて行こうとしたが、 張玉娟さんは邪悪な陰謀の企みを見破って協力しなかったので、仕方なく去って行った。

 2005年3月9日午前8時、国保大隊の警官・戦志剛は610弁公室の傅艶春、莫振山らとぐるになって、張玉娟さんの家の入り口で監視したが、彼女は午後4時仕事が終わり帰宅した時に気がついたため、家に入らなかった。

 2005年4月4日、戦志剛と傅艶春の2人は張玉娟さんの勤め先の入り口で彼女を強制連行した。とうとう彼女は洗脳班まで送られた。彼女が協力せず、保証書を書かないため、留置場に移送され、拘禁された。

 4月14日、警官・戦志剛らは訴訟手続きを通さず、不法に張玉娟さんを万家労働教養所(現在は前進労働教養所と称す)に送った。労働教養所の健康診断で不合格のため一時断わられたが、戦志剛は手柄を横取りして恩賞を請うために、いっさいの代償を惜しまず、贈り物をするなどコネを使って、強行して張玉娟さんに不法に2年の労働教養を科した。

 労働教養所の中で、張玉娟さんは非人道な苦難に遭い、七大隊隊長・張波は彼女に対して侮辱した。張さんは協力せずに拒絶したため、しゃがむことを罰せられ、奴隷のような扱いで一日15、6時間の労働をさせられた。

 張さんは労働教養所から家に戻り、元の仕事の職はすでに除名されたため、アルバイトして生計を立てなければならなかった。2008年7月のオリンピック前に、町の住民委員会と警官はまた何度も来て騒ぎ立てたが、張玉娟さんはアルバイトで外出していたため、思い通りにすることはできなかった。

 2008年10月13日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2008/10/11/187493.html