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大法弟子は一つの考え、一つの念でも正しくすべき


文/大陸の大法弟子

(明慧日本)「正念」は「神の念」とも言う。正念が足りているときのみ、難しい難関に遭ったときに師父が早く突破するよう助けてくださるが、正しくない考えがあれば、それは「人の念」である。もし「人の念」が修煉の道を歩む者を指揮すれば、容易に邪悪に隙に付け入られ、彼らが迫害を加える言い訳にもなる。

 この一つの考え、一つの念において、私はとても深い体験をした。師父が大法を16年あまり伝えられ、邪悪の迫害はもう9年になり、なぜ邪悪の迫害は終わらないのか。原因として大法弟子がまだ執着心を捨てきれず、旧勢力はいわゆる試練を与えるための口実をつかみ、師父の正法に対して妨害をもたらしてしまった。私たちは今日まで紆余曲折を経て歩んできた。教訓によって私たちは少しずつ成熟に向かっているが、「正念」、「神の念」をもてば、「人の念」をもって成した結果とは違ってくる。

 今年8月のある日、私は饅頭を売りに行ったとき、転倒した。家に帰ってから意識がはっきりしなくなり、乗っていた自転車は壊れていた。夫と子供は私を病院に連れてCT検査をしたが、何事もなかった。家に帰ってから、手の指に包帯が巻かれていることに気づいた。当時、私の意識がはっきりしていなかったが、破傷風の注射をしてもらったのだと言われた。しかし、私は修煉してから、薬が自分に効くとはまったく思っていない。

 病院は修煉者の体を検査しても何も出なかったが、この事故で私は左半身がとても痛くなり、常人には耐え切れないほど痛くなった。しかし、昼間は何でもやり、三つのことにも影響されず、煉功するときには痛くて汗が服ににじみ、寝るときも痛くてしかたなかった。毎日正念を発して清め、師父のご加護を求め、内に向けて探した。そしてこの事故の原因が分かったとき、すぐに痛みが消えた。法を得る前、私は全身病気だらけで、気管支炎、神経衰弱、中耳炎、子宮ガン、胃の病気があった。当然ながら病気は一日でかかったわけではなく、三十年間薬を飲んでも病気は治らなかった。修煉し始めてから薬を一粒も飲まずに全部直った。誰が見ても体が良くなったと分かり、六十歳とは思えないほど若くなり、毎日オートバイに乗って、どこに行っても不安にはならないと言われている。これらの話を聞いてうれしくなり、歓喜心が生じ、長期間にわたってこの人心を捨てなかったため、転倒したのだ。体がよくなったことは法を実証することに使われ、大法の神秘を実証することに使われることであり、これらの一切のことは師父が与えてくださった。しかし、真相を伝えるときにまだ顕示心があり、法を実証してはいるが、心は不純であった。自分を実証することは一つのとても重い私心である。それによって、旧勢力に妨害し迫害する隙を与えてしまった。

 この事件を通じて、修練が厳粛であることをより一層体験した。今後は絶対に法を多く学び、法をもって自分の一つの考え、一つの念を照らし合わせ、人心と執着を助長しないようにする。そして、邪悪に隙に付け入れられてはならず、必ず師父の按配してくださった修煉の道を歩むようにしたい。

 2008年10月13日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2008/10/11/187506.html