日本明慧
■印刷版   

夫婦で修煉をしている同修はさらに精進すべき


文/江蘇省の大法弟子

(明慧日本)明慧ネットの文章を読んで、自分が修煉において出遭った心性の関を乗り越えることを書き出して、同修と交流し、自分の最近の修煉状況を報告したいと思います。私たち夫婦はともに大法を修煉しています。今日、同じように夫婦で同修である人に会いました。私達は交流する中で、その同修は「夫婦ともに修煉者の場合、難が大きくなり、乗り越えにくいです」と言いました。私は即座にこのような認識は否定すべきだと言いました。それは執着心が強すぎて、自己を放下することができず、自分を普通の常人の夫婦とみなしているからです。私もこの同修と似たような経験があるので、ここで自分の体験を話したいと思います。

 同修同士の夫婦が生活の中でトラブルに遭い、もし1人が依頼、依存して、もう1人が不平をこぼす時、つい「これはあなたが以前に私に借りがあったので今返しているのです」と言ってしまいます。この時、もう1人は自分が修煉者であり、黙認しました。これは、旧勢力が大法弟子を隔てていることを理解せず、無意識の中で旧勢力の按排を承認しているのです。時間が経つにつれて、難はますます大きくなり、乗り越えられなくなり、この面で心性が常人のレベルまで落ちてしまいます。人心を抱えて恨み、対立し、甚だしきに至っては相手と別れようと思い、苦しく感じて疲れ果て、修煉も続かなくなるのです。

 心を静めて繰り返し学法すると、師父は「修煉の中で、皆さんは良いことに出遭っても、良くないことに出遭っても、すべて良いことです。なぜならば、それらは皆さんが修煉しているからこそ、現れたことだからです」(『シカゴ法会での説法』)と言われました。夫婦が2人とも大法を修煉しているのに、なぜこんなに激しい対立が現れるのでしょうか? 最も主要な原因は師父に要求されたように内に向かって探すことをしていないからです。すべて外を見て、外に向けて探しているので、目に入るものはすべて相手の問題になるのです。修煉はやはり自分を修めることであることを忘れてしまったのです。

  師父の法に照らして私は自分に質問しました、「私は誰の話を聞いて、誰の道を歩んでいるのですか?」。自分はやはり旧勢力が按排した道を歩んでいて、邪悪に牛耳られていました! もし、私が旧勢力の按排を承認したら、私達の難は次第に大きくなり、夫婦である同修の間隔はますます拡大し、私達がなすべき三つのことに影響を与え、法を実証することをも邪魔してしまいます。徹底的に旧勢力の按排を否定して邪悪の妨害を一掃し、内に向かって修め、内に向かって探し、闘争心、嫉妬心と各種の私心を無くし、寛容な心、慈悲の心を修めなければならないと思いました。

  法の中で自分の一つの考え、一つの念、細かい言動をも正さなければなりません。私は師父に加持して頂きたく、「怨む心、貶す心、対立の心を生み出す邪悪な生命の要素を滅し、私達夫婦はともに精進し、夫婦が一致協力することを妨害する黒い手、卑しい鬼、そして変異した物質を一掃します!」と強大な正念を発しました。それ以来、私たち夫婦の間隔は大分取り除かれて、過去のような「相性が悪い」状態はなくなりました。

 夫婦がともに大法を修煉するのは、きっと師父の前で願をかけたことから夫婦になったのです。私達が一丸にならない理由はありません。私達はさらに一致協力して、師父の按配された法を実証する道を歩み、共に精進すべきだと思います。

  2008年10月15日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2008/10/9/187353.html
(英語:http://www.clearwisdom.net/emh/articles/2008/10/14/101466.html