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「大法好と念じれば命が助かる」について感じたこと


文/平度の大法弟子

(明慧日本)同修の体験談「大法好と念じれば命が助かる」を読んだ後、同修の見解は理性的であると思いました。周りの同修たちは「大法好と念じれば命が助かる」ことにある程度執着しています。

 ある同修は瀕死の患者に「法輪大法好と念じて!」と、すぐに薦めます。実は誰でも誠心誠意「大法好」と念じれば確かに異なる度合いの良い影響があります。しかし、人にはそれぞれ徳の大きさが違い、業力の大小によって効果は異なります。同修の体験談に書かれたようにすぐ効果が現れる人もいれば、あまり変わらない人もいます。あるいは大きい災いが小さくなり、あるいは来世に効果が現れることもあります。したがって「法輪大法好」の福音を人に伝えるときに、分別を考える必要があります。常人に対して断言してはいけません。

 「誠心誠意、『大法好』と念じればよい効果がありますが、そうでなければ無効です」と常人に話した方が理解されやすいのではないでしょうか? 同時にいくつかの例を挙げて大法の素晴らしさを伝えます。そうすれば後日どんな効果が現れようとも誤解を招きません。

 いまの状況から見れば確かに同修の話は絶対的で、この方面の行いは理智的ではない部分があります。例えば「大法好と念じればどんな病気、癌でも治り、大法は災難を免れる宝物のようだ」と常人に教えます。

 この問題はありきたりに見てはいけないと私は思います。私たちには執着心があって、予言を真実のように伝播し、過ちを犯しました。いまでも誤解している人は説明を受け入れず、大法に対して疑惑を持っている人がいます。これは一つの深刻な教訓として今後も十分に注意すべきです。よく考えてください。大局からものごとを考え、悔恨を残さないようにしなければなりません。世間の人々を間違って誘導してはいけません。

 2008年10月15日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2008/10/12/187478.html