日本明慧
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心を静めてしっかりと法を学ぶ


文/大連の大法弟子

(明慧日本)修煉してから10年以上経ちました。思い返せば、どれほどの時間を無駄にしてきたのでしょうか(法を学ぶとき集中しておらず、ただ表面的に読んでいるのに留まっている)。最近、初めて心を静めて法を学ぶことのすばらしさを感じました。同修の参考になれたらと思い、文章にします。良くないところはご指摘お願いします。

 これまで私が法を学ぶときは、特に『転法輪』を通読するときも声を出して呼んでいましたが、しかしひとたび止まると、先ほどはどの段落を読んでいたのかすら分からなくなることがあります。さらに誤読、脱字もよくありました。最近は、毎回法を学ぶときにまだ心を静めることができていませんが、本当に心を静めて法を学ぼうとすると、やはりこれまでに見えなかった法理が見えるようになりました。思い返せば、これまでは一体何をしてきたのでしょうか? 10年前から法を読み始めましたが、なぜ今となって初めて法が見えたのでしょうか(もちろん悟った法理が異なる次元のものであることは否めない)。原因を探ってみると、今日は心を静めて、ゆっくりと、着実に法を通読し、心を静めて一文字、一句を悟っていました。一部の文章は一回だけでは分からなかったが、もう一回読むなど、本当に仏法が自分に現してくれた法理を悟るまで次の段落に進まないようにしました。それこそ本当に集中して、決して法を学びながら他のことを考えないように、心に雑念がなく、自分がそこで動けなくなったかのように、体も殻に過ぎず、本当の純真な自我が大法の中を泳ぎ、返本帰真の道の上を飛び回っています。少しのまばたきすらしたくない、泣きたくなるほど、宇宙の大法が心にもたらした強く震撼し、慈悲なる師父が迷っている子供を呼び覚ますかのように、私に家に帰る道を導いてくださいました。慈悲なる師父、弟子は心より感謝致します!

 心を静めて法を学ぶようになってから、三つのこともできるようになり、発正念を始めると直ちにその状態に入れるようになり、体が動かなくなり、学法が終わるのが惜しいほどです。

 2008年10月17日

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2008/10/16/187844.html