真に大法弟子の状態で師に随って法を正す
——神韻公演のチケット販売について
文/海外の大法弟子
(明慧日本)神韻公演がいよいよ開幕となり、大法弟子であれば誰でもその意義と内包を知っていて、さらに自分がその中で師に随って法を正す責任を認識しています。弟子たちは皆、表面空間で自分のするべきたくさんの仕事をしていて、たくさんの時間と精力を費やしました。しかし、実際の効果があまり良くなかったことが皆さんには見えました。どうしてこのような事が現れるのでしょうか?
師父に啓示された法理の中から、私達の肉眼で見えた全ては、他空間での要素がこの表面空間で現れた形式であり、宇宙正法と衆生を済度することが旧宇宙の壊滅の要素と邪悪な生命に妨害、破壊されることがありえると分かりました。神韻公演チケット販売の過程の中で、 私達の表面空間で行う事が困難と妨害にぶつかったのは、その他空間の中の邪悪な妨害が重要な役割を働いています。道理に適えば宇宙正法が今日まで至り、不正な要素と邪悪がますます少なくなるべきですが、どうしてこのような事が現れるのでしょうか? そしてこのような情況に直面して、私達はどのようにするべきなのでしょうか?
私達は自分自身から原因を探すべきです。私たち自身の修煉に漏れがあり、あまり意識していない隠れた執着心と良くない観念があるのではないでしょうか。すべての大法弟子の対応する空間体系は普通ではなく、とても大きいものです。私達は自身の修煉状態がいったん悪くなったら、良くない生命の要素と邪悪に存在する空間を与えるのに等しいのです。私達はするべき事をしますが、一方では自身の人心によって養われた邪悪に破壊されています。表面で見れば現在、我々が目にしていることです。この角度から見て、厳しく言えば、衆生を済度することを妨害するのは私達自身です。なぜなら、修煉していない普通の常人では大した事はできないからです。
私達がもし、とても忙しいことが原因で、それを口実にし、自分の修煉を緩める、学法と発正念の実際の効果を軽視した、あるいは長期にわたり自己やうぬぼれなどの良くない人心を放下していない、トラブルに直面した時に内に向かって探さない、また同修間の間隔を拡大したなど、これらのすべては邪悪に隙に乗じられているのです。さらに、私達の表面空間での努力が逆効果に変わってしまっては可笑しいことになります。
もし、私達は自分自身を良く修煉できるよう努力し、全体的に協調し、問題に直面したら法をもって考え、法の中に溶け込み、しっかり学法することができたら、もし発正念を重んじ、理性的で強大かつ有効な正念を保って私達の神の部分をもって、その他空間の邪悪な生命を一掃すれば、もし修煉者の状態で、理知的に正しく私達のするべき事をしたら、誰が私達の「師に随って法を正し、衆生を済度すること」を妨害することができるのでしょうか?
以上、個人的な悟りであり、同修のご指摘をお待ちしています。
2008年10月18日
(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2008/10/16/187814.html)
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