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法輪大法の修煉は楽しくて幸せ


文/西安大法弟子 藍穹

 (明慧日本)私は1996年に法を得ました。この十数年の修煉を振り返ると、大法弟子として行うべきことを行った以外にも、普段の生活の中でも大法に「圓容」することが必要であると感じています。その際、私は「楽しく修煉すること」を、自らに常に言い聞かせているのです。

 法を得る前、私には精神的な苦痛がありました。実際、私は自ら行うすべてのことに、あまりにも慎重な性格でした。しかも、とても負けず嫌いな性格だったのです。生活面でも、仕事面でも努力はしましたが、結果は裏腹なものでした。人間関係も非常に緊張した状態で、自分の性格もますます短気な性格になっていたのです。結果、長期の不眠が続き、体も弱くなりました。さらに、この世は不公平なものだと思う心理から、私はついに「うつ状態」になってしまったのです。少々の挫折があるだけで、私は悲しみのあまり、死にたいと思うようになりました。私は常に自分に問いただしました……。「私はどこが間違っているのだろう? なぜ自分と他人はまったく相容れないのか? 私はどのように頑張れば、この苦境から脱出出来るのか?」と。私は生きるヒントを得るために、たくさんの本を読みました。佛教の経文や、道徳の本も数多く読みました。しかし、私の困惑と苦痛を根本からなくすことは出来なかったのです。

 私は幸いにもご縁があって、法輪大法(ファルンダーファ)を得ることが出来ました。私が大法(ダーファ)の書籍である『轉法輪(ヅァンファルン)』を最初に読み終えたときには、正直あまり大きな感銘を受けることはありませんでした。しかし、すでに修煉者になっていた家族に何度も大法を読み返すよう勧められ、私は再び『転法輪(ヅァンファルン)』を読むことにしました。すると徐々に私の心は和み、多くのことが分かるようになったのです。自分を苦しめている原因が何であるかも、よく分かるようになりました。「自ら善い人の基準から外れ、知らぬ間に『業』を積み重ね、難を増やしていたことが、私を苦しめていた原因」だったのです。

 法を得た後、私は集団で行う煉功に参加しました。集団で行う煉功は、まるで平和な別世界にいるかのようでした。しかし残念ながら、当時の私は常人の観念が強く、精進することを知りませんでした。しかも、私は精神的に苦しいときに限って法を学び、体調が良くないときにしか煉功をしませんでした。それなのに、私の不眠症は知らぬ間に治癒していました。さらに人間関係で耐えられないような屈辱と攻撃を受けたときでも、私は法に従って忍じることが出来るようになったのです。

 大法が迫害を受けた最初の数年間、私は法の学習や煉功はほとんどやめていました。社会道徳も低下し、互いにだまし合う社会環境の中で、私の心と体は修煉をする以前の悪い状態に陥ってしまったのです。そのことで、私はかえって目覚めました──。「大法を離れることは、私には出来ません。『真・善・忍』は、私の心の中にすでに定着しています。常人に戻ることは、私には耐えられないことなのです」と……。

 法を得る前、私は自分自身を善い人だと思っていました。ところが、本当に修煉を始めて、法を学び、さらに自ら法を暗誦するようになると、自分はまだまだ偏っており、正すことも多くあるのだと気づいたのです。この数年間、私は法の勉強や煉功を続け、大法弟子の基準に従ったことで、心性が向上したことを実感しています。しかし、少し怠けると、私の中に再び執着心が表れるのです。私の修煉の悪しき状況は、押しては返す波のように、くり返し現れて来ました。しかし私は、大法が迫害を受けている時期に身を置いているのです。ですから、私は大法弟子として環境に染まらないよう大法に「圓容」すると共に、人々に善なる影響を与えるようにしました。実際、大法に「圓容」し、人々に善なる影響を与えることも、法を実証していることだと私は思うのです。

 ──以前には、自分の口の悪さを実感していましたので、私は出来るだけ人と話さないようにしていました。実際のところ、私が口を開くと、人を傷つけ、人と衝突するばかりでした。その原因は、人に自慢をする顕示心や、人と競い合う闘争心が自分の心の内にあったからです。また私の心には、人に優しくないという側面もあり、「名・利・情」への執着もありました。ですから私が口を開くと、数多くの問題を起こしていたのです。私には法を学んで分かったことがあります。「口を開かなければ問題が解決出来るというわけではない。むしろ『心性を修める』ことこそが肝心なのだ」と……。その後、私は話す時にも出来る限り平穏な心を保つようにしました。また話し方にも注意を払い、自分の執着心を抑制するようにしたのです。お陰さまで、私は徐々に多くのことを改善出来るようになりました。

 先ほどお話ししたように、私は以前、常にうつ状態で苦悩していました。それまでの自分は「ごく普通の人間だ」と思っていたのです。実際、修煉をするようになって、私の心は次第に穏やかな状態に変わっていきました。しかし、私の表情は依然、こわばったままだったのです。「こわばった表情の原因は、一体どこにあるのだろう……?」 私は心の内に向かって探しました。すると自らの心の奥底に「隠された嫉妬心」が、かいま見えたのです。加えて私は人間関係から逃避しようとしており、人と接触するときにも消極的な態度だったと気づきました。それからというもの、私は修煉のときだけではなく、生活の中でも各種の執着心を取り除くようにしたのです。問題に直面したときでも、人との摩擦を避けるよう自らに要求し、大法弟子としての心を常に保つようにしました。すると私の性格まで明るくなったのです。ありがたいことに、私の変化を見た同修や家族、そして仕事仲間も皆、「とても良いことだ」と言ってくれます。さらには、まわりの環境まで良い方向に向き始めたのです。

 この数年の自分の変化を振り返ると、心から師父に感謝しなければならないと思います。今後、私は修煉の道でさらに勇猛邁進し、絶えず自らを高めたく考えているのです。また、世の人々にも「大法の修煉者は幸せ者だな」と知っていただきたく思います。私は、大法弟子として行うべきことを行って、大法弟子の威徳を世の人々に伝えたいと、心から考えているのです……。

 2008年10月20日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2008/10/13/187595.html