日本明慧
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法輪功の修煉を始めて


文/中国 阿弟

(明慧日本)尊敬する師父、同修のみなさん、こんにちは!

 私は今日の交流会に参加出来たことを、とても光栄に思います。慈悲深き師父は、天の扉を大きく開き、衆生をあまねく済度していらっしゃいます。万古にも巡り難き法を得る機縁を、私にも与えてくださいましたことを、心より感謝申し上げる次第です。私は新規の修煉者で、在席の同修の皆様方とは比べるべくもありません。しかし、私は自分が法を得た過程や、わずかばかりの修煉の体験を、同修の皆様方とやはり分かち合いたく思うのです……。

 さて、私が中国にいたときには、すでに法輪功に関するお話を伺(うかが)ってはいたのです。しかし、そのときには機縁がまだ熟していなかったのでしょう。当時の私は、法輪功と接触することも出来ず、その内函もよく知りませんでした。ところが中国から出国した後に、ある女性の大法弟子と出会い、友人になったのです。私は、大法弟子の慈悲心や善良さ、そして正しい心を彼女から感じ取ることが出来ました。私は素晴らしい友人が出来たことに、心から感謝をしたのです。私は彼女から少しずつですが、大量の書籍を借りて来ました。『轉法輪(ヅァンファルン)』や『精進要旨』、それに新しい経文、師父の世界各国での説法を、順次拝読させていただいたのです。私が師父の書籍から得たものは、本当に計り知れないものでした。とりわけ書籍で説かれている、宇宙の最高法理「真・善・忍」に、私はいたく感動したのです。私は大法の著作を読むことで、人間がこの世に来た「本当の意味」をはっきりと知ることが出来ました。人間がこの世に来た「本当の意味」とは、人間になること自体が目的ではなく、迷いの中で悟り、苦を舐め、返本帰真し、自分の真の家に戻ることだと知ったのです。

 私は師父の法理に触れることで、法輪功を修煉しようと心に決めました。さて、連続して数週間、私は夜中に数人の同修と法を学び、煉功をしたことがあります。めったに夢を見ない私でしたが、このとき私は不思議な夢を見たのです。夢の中で、はるかなる漆黒(しっこく)の天上から、一つの星だけが光輝いていました。その星は、まばゆいほどの強烈な光を発し、私の目を射抜くほどだったのです。夢の中で本当に目を開くことすら出来ないほどのまぶしさでした……。この夢は、さらに揺るぎなく修煉をするよう私を励ましてくれたのでした。

 しばらくの学法と煉功を通じて、私の季節的な脚の痛みは完全に消えてしまいました。発作の再発すらありません。身体もさらにたくましくなりました。以前、私はたまにお酒を飲んでいたのですが、今ではまったく飲まなくなったのです。20年近く吸っていたタバコも、知らないうちにやめることが出来ました。つまり、すべての良くない習慣が、少しずつ正されたわけです。また、人と接触したり、何かを行うときであっても、私は「真・善・忍」をもって判断することが出来るようになりました。なぜならば、私は「修煉者」だからです。修煉者は、すでに世人とは同じ次元にはいないのです。ですから、修煉者は世人と同じ見識を持ってはいけないと、私は思うのです。

 大法の不思議さは、実際、言葉で言い表すことが出来ないものです。ただただ大法の不思議さを身をもって体得することで、ようやくその極まった美妙さや大切さが分かるようになるのです。

 縁の浅い深いに関係なく、縁はまさに今、あなたの目の前にやって来ています。縁ある人々が、この万古にも巡り難き機縁を大切にされますよう心から望んでいます。

 私には悟性に限りがあります。同修の皆様方、適切でないところは慈悲をもってご叱正いただけますよう、何卒宜しくお願い申し上げます。

 (第六回イスラエルの法輪大法修煉体験交流会での原稿より)

 2008年10月23日

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2008/10/22/188264.html