日本明慧
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精進できない時、自らを浄化する


文/大陸の法輪功修煉者

(明慧日本)私は法輪功の修煉をしている既婚の女性です。私は最近、精進がなかなか出来ずに、とてもつらく感じているのです。私は「何がいけないのか?」と、心の内に向かって「原因」を探してみました。すると、自分にはとても多くの執着心があったのです。私はどこから手をつければよいのかも分かりませんでした。今日、同修の編集した小冊子『心を修め欲を断つ、婚姻と家庭に関する交流文集』を読み、はたと迷いから覚めたのです。自分が精進出来ていない原因は、実は以下の3つでした。

 第一に、情があまりに重すぎたこと。

 第二に、根本的な執着心をなくしていなかったこと。

 第三に、人間のいわゆる幸福を重んじており、欲に溺れていたことです。

 「私にとって、何が根本的な執着心なのだろう……?」 私も心の内に向かって探してみたことがあります。しかし、今までは心の内に向かって探してみても、思った原因とは合っていない気がしたのです。同修たちの文章を読んで、私の根本的な執着心は「常人が抱いている幸福な生活なのだ」とようやく分かりました。私の夫は、私よりも9歳年上です。ですから、私は「年上の夫が私にまず関心を持つべきで、夫が私をまず大事にするべきだ」といつも思っていました。しかし、結婚して3年ほどで、夫はネットで出会った別の女性と付き合い出したのです。家庭も破壊寸前の状態でした……。

  当時、私は夫の浮気で大きなショックを受け、生きることがつまらなく感じていました。夫の情すら私には信用できず、ほかに方策があればと思い、姑について修煉を始めたのです。私は「修煉すれば、情愛に淡白でいられる」という目的を持ち、期待しながら修煉の道に入りました。今、思い出してみても、本当に不潔で、利己的な私心でした。この利己的な私心を早く無くさなければ、私は師父に申し訳なく思うのです。 私が大法に出会えるようにと、師父は私の家庭を按排してくださったのだ……私はそう思っています。ですから、私は早く根本的な執着心と人心を無くしたく思います。そして師父に按排された道をしっかりと歩み、師父について円満成就したく思うのです。

 私は同修の「神からの視点で見る婚姻」を読み、大いに啓発を受けました。修煉者として、私は神への道を歩んでいます。ならば、私は神に按排された婚姻と生活様式に従うべきです。今の変異した考えで、人間の情を重んじるべきではないのです。……私はいつも夫からの愛を望んでいました。そして、夫がしばらく私を相手にしなければ、私は気分が悪くなったのです。甚だしきに至っては、夫に対して邪念すら生じていました。本当に情けなく思います……。何年も修煉して来たのに、私はまだ人の情から抜け出せず、人間の情に溺れてしまうのです。実は、情を放下しなければしないほど、旧勢力はさらに私の情と欲を強化して、大法弟子を台無しにしてしまいます。情を重視しすぎると、当然三つのことはしっかりと行うことが出来ません……。

 事の深刻さを意識してからというもの、私は自らを深く省みることになりました。私はなぜ、この世にいるのでしょう? 情のためでしょうか? そうであるなら、私は永遠に常人です。しかし、私はすでに修煉者なのですから、師父のおっしゃることに、私は素直に従うべきなのです。師父は次のようにおっしゃいました。「修煉は、錬磨の中でこそしなければなりません。常人の持っている七情六欲を放棄することができるかどうか、それらに対して淡々としていられるかどうかが問題です。どうしてもそれらのものに執着するのであれば、修煉を成就することはできません。」(『轉法輪(ヅァンファルン)』)実際、修煉者は人間のすべてに淡白であるべきです。

 人心と執着を確実に無くそうと思うのであれば、大法しかありません。──私は『精進要旨』や『真修』を暗記したとき、次の言葉がどうしても覚えられませんでした。「常人の心を放下できるかどうか、これは真に常人を超えて歩みゆく至難の関なのです。」──ふと考えてみると、私は夫への情も含めて、常人の心を放下する決心がなかったのです。私は心の中で、「私は絶対に常人の心を放下します」と決心しました。すると、すぐに暗記出来なかった一文を覚えることが出来たのです。真に修める大法弟子は、誰もが常人の心を放下しなければなりません。ならば、常人の心を放下するのは遅いより、早い方がよいはずです。常人の心を放下出来れば、明らかによくない物質──業が少なくなります。それすなわち「自分がその分、浄化された」ということを物語っているのです。常人の心を放下して、初めて大法弟子が行うべきことを、しっかりと行うことが出来る──私はこのように思うのです。

 私の次元には限りがあります。妥当でないところは、ご指摘くださいますよう宜しくお願いいたします。

  2008年10月23日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2008/10/7/187218.html