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警官陳慶武は、彭維勝さん一家を長期間迫害

(明慧日本)2008年5月28日、武漢市武昌公安局分局「610弁公室」の警官・陳慶武は法輪功修煉者・彭維勝さん、彭亮さん父子を強制連行し、武漢市何湾労働教養所に拘留、それぞれ1年及び1年半の労働教養を科した。

  警官・陳慶武は1999年からずっと彭維勝さん一家の迫害に参与している。

  彭さん一家は5人家族である。父、彭維勝さん、母、李瑩秀さん、長男、彭亮さん、二男、彭敏さん、末娘、彭燕さんの全員が法輪功を修煉し、「真・善・忍」に従い、豊かではないものの仲睦まじく暮らしていた。しかし、中共による法輪功への迫害が始まって以来、一家はかつて全員同時に連行され、1カ月内に2人が迫害により死亡した。以下は彭さん一家が受けた迫害の詳しい状況である。

  彭維勝さんが受けた迫害事実

  1999年秋、彭維勝さんは2度上京して法を実証したため、不法に1年半の労働教養を科され、武漢市何湾労働教養所第二大隊に拘留された。2001年7月22日には釈放されるはずなのに、陳慶武らは彭さんの家族が迫害により死亡した事を暴露されるのを恐れ、拘留を半年延長し、期限がくると更に3カ月延長した。2002年になり、陳慶武らは彭維勝さんを武昌区「610弁公室」洗脳班に移送して留置場に拘留し、また洗脳班に移送した。その後、彭維勝さんは洗脳班から脱出し、各地を転々としてやっと新疆に着いた。陳慶武らはあろうことか新疆まで追いかけて彭維勝さんを武漢に連行し、2003年6月末まで洗脳班に拘留した。彭維勝さんは不法に3年8カ月間拘留され、現在、再び陳慶武らに不法に1年の労働教養を科された。

  李瑩秀さんは迫害により死亡

  李瑩秀さんは1999年に上京したため、不法に留置場に拘留され、2001年4月29日、迫害により死亡した。

  2001年4月6日、彭敏さんが迫害により死亡したとき、陳慶武らは他の警官と一緒に消息を封鎖し、李瑩秀さんと彭亮さんを連行し、武昌区紅霞洗脳班に拘留して監視した。李瑩秀さんは警官の蛮行を厳しく叱責し、上告すると言ったため、その場でひどく殴られて頭部に傷を受け、第七病院に送られたが、回復せず2001年4月29日、死亡した。手枷を掛けられたままの彭維勝さんは妻の遺体を見た時、李瑩秀さんの髪が全て剃られ、頭部に傷があり、鼻と口の中には鬱血があった。彭維勝さんは「妻はなぜ死んでしまったのか?」と警官に詰問した。

  彭亮さんが迫害を受けた事実

  彭亮さんは上京して法を実証したため、2000年3月から不法に武漢市武昌区紅霞洗脳班に拘留された。弟彭敏さんの死亡事件のため、2001年4月再び武昌区紅霞洗脳班に拘留された。家族二人が迫害により死亡したため洗脳班から家に帰ってきた。2001年7月、彭亮さんはインターネットを通じて海外の代理人に委託して湖北省公安庁長を提訴しようとしていたことの報復から、2001年8月再び連行され、武漢市第二留置場、武昌青菱留置場、湖北省「610弁公室」洗脳班、武昌区「610弁公室」洗脳班などに拘留された。不法に拘留された間、警官は彭亮さんに提訴を諦めさせようと、妹彭燕さんを悪名高い湖北沙洋農場に送り、死なせると言いふらした。また、彭亮さんは残酷な各種拷問をされたため、2度も生命の危機に陥り、緊急救助された。現在、彭亮さんは再び陳慶武らに1年半の労働教養を科された。

  彭敏さんは迫害により死亡

  彭敏さんは2000年3月に法を実証するために上京して、不法に逮捕され、中心人物とみなされて武漢青菱留置場に拘留され、2001年4月6日に、迫害により死亡した。

  留置場で警官・朱漢東は何度も受刑者を唆して彭敏さんを殴らせた。2001年1月9日、警官が再び彭敏さんを殴ったため、第五脊椎の粉砕骨折および頸椎骨折から半身不随となってしまった。

  彭敏さんが家に帰って1週間後、陳慶武は30人以上の警官を伴い、彼を武漢市第七病院に連行し、一番奥の部屋に拘留した。そして、警官に監視させ、治療させなかった。この時の彭敏さんは首から下の知覚を失い、背中には大きな穴があった。

  警官は家族に「彭敏さんが死ねば、退院できる。さもなければ、一日も退院できない」と言った。

  2001年4月5日、彭敏さんは不明の薬剤を注射され、4月6日未明、死亡した。

  誰もサインしていないのに、遺体は翌7日午前、陳慶武らによって強制的に火葬された。その時、彭さんの家族はまだ拘留されていた。

  彭燕さんが迫害を受けた事実

  彭燕さんは2000年3月不法に武漢市第一留置場に拘留され、死人ベッドに39日間縛られ、留置場の所長・朱梅玲や受刑者に殴られた。その後、更に4カ月の刑を科された。

  2001年4月29日、母李瑩秀さんの死の当日、警官は彭燕さんを連行し、不法に3年の判決を下し、2001年8月7日、また武漢市女子監獄噴織中隊に移送した。そこで、彭燕さんに毎日2時間しか睡眠を与えず、20時間立ったままの状態を強要した。昼夜を問わず各種の刑を加えられたため、彭燕さんの体は極めて衰弱した。

  2008年10月23日

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2008/10/22/188250.html