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黄朝武さん、馬家ロン労働教養所で迫害され重体

(明慧日本)江西省瑞昌市の法輪功修煉者・黄朝武さんは九江市馬家ロン労働教養所で迫害され、危篤状態になっている。黄さんの父黄少江さん(瑞昌県公安局の元政治工作員、政治委員に相当する)が、家での療養を保証したが、労働教養所側は何度もやって来ては撹乱した。現在、黄朝武さんの体は骨と皮ばかりに痩せ、極度に衰弱している。

 2007年5月19日、江西省瑞昌市公安局埠頭支局の5人の警官は、黄朝武さんが真相と「三退」(党、団、少先隊からの脱退)を勧めたことを告発し、家に飛び込んで連行した。公安支局で、黄朝武さんは警官に囲まれて殴打され、手錠をかけられた両手からは血が流れた。 黄朝武さんは不法に瑞昌市の万宝山留置場に拘禁されて2年の強制労働を言い渡され、馬家ロン労働教養所に引き続き拘禁された。

 馬家ロン労働教養所の警官・柯華(電話:13879209877)は、黄朝武さんに「真・善・忍」の大法に対する信奉を放棄するよう強制した。減刑を餌に麻薬受刑者を誘い、黄朝武さんを「死ぬまで打て、見える場所を打たないで、見えないところを打て」と唆した。黄朝武さんは1年の内に、何度も危篤状態に陥った。

 2008年8月21日、黄朝武さんの妻子は黄朝武さんが馬家ロン労働教養所で警官に迫害され、危篤状態になっているとの情報を得た。翌22日、急きょ彼女は黄さんの姉と、83歳の父を支えるようにして連れて行って見舞った。馬家ロン労働教養所は、接見日ではないという理由で、彼らの面会を拒絶し、再三の求めにも依然として応じなかった。最後に黄さんの妻子が「私達がここに来ることは容易ではありません。父1人だけでもすこし会わせてほしい」と言うと、彼らはやっと許可した。

 父は息子に会うと驚いて目を疑った。息子は木の板の上で横たわって、意識不明になっていた。結局、現実の情況に労働教養所は1カ月の病気休養に同意したが、父に保証書を書くように求め、「家にいる間は法を学ばず、煉功させない、法輪功修煉者に接触させない、迫害事実を暴露することを許さない」と条件をつけたが、父は息子の命を救うため、全部承諾した。

 黄朝武さんが家族によって救われた後、妻は心をこめて世話をし、1週間後やっと目覚めた。しかし今なお、飲食は依然として自分ではできない。労働教養所は、もう1カ月の休暇を許した。1カ月の間に、馬家ロン労働教養所の警官が4回来てかき乱し、再度黄朝武さんを労働教養所に連行して、迫害を続けた。一度は、家族が留守の時、万能鍵でドアを開けて突入したが、黄朝武さんの体の状況が深刻なため、彼らは目的を達成することができなかった。

 労働教養を受ける前、黄朝武さんは、何度も不法に留置場で迫害を受けた。2003年12月3日、真相資料を配っている時に警官に連行され、瑞昌市留置場で15日間断食して迫害に抗議し、1年10カ月(プラス1カ月)の強制労働を科された。九江市労働教養所の第3大隊で、いわゆる「反省文」を書くよう強制され、何度も断食して迫害に抗議したため、強行に灌食され、下の前歯2本が抜けた。両手を窓の上方で手錠を掛け、両足が地面を離れたとき、黄さんはすでに人事不省になったが、警官達は水をかけて目を覚まさせた。その時黄色い泡がでて、両手の感覚は麻痺し、全身身震いすると、双足はすでに腫れていた。20日間の治療で少し好転したが、両手は傷だらけで指は変形し、両足で歩くのさえ困難だった。労働教養所の警官は、期限を過ぎて1カ月後、やっと家に戻した。警官は、「労働教養所内の情況は他人に言うな」と脅した。

 2008年10月23日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2008/10/19/188035.html