「心の内に向かって探す」ことを口癖にしてはいけない 文/河北省の大法(ダーファ)弟子 大山
(明慧日本)師父は大法(ダーファ)弟子に、トラブルに遭遇するとき、内に向かって探すようにと教えられました。トラブルに遭遇したとき、心の内に向って本当に探すことが出来れば、対立はすぐに緩和されます。ですから同修たちも、常に「内に向かって探す」ことを「口癖」にしています。トラブルや妨害、あるいは迫害に遭っても、内に向かって自らの執着心や漏れ、まだしっかりと出来ていないことを探しているのですが、「執着をなくして、これからやり直そう」と言うだけで、簡単に「終わり」にしてしまうのです。
しかし、その後も同じような過ちを犯し、再び同修の前で自分の不足を探しています。そして自らの執着心を暴露し、同じことを繰り返す状態に、長期に渡って陥っているのです。「同じこと」を幾たびも繰り返している多くの同修に限って、実は次のように感じているのではないでしょうか? 「今まで修煉して来たが、何もよくならない気がする。法を正すことも最終段階に入ったが、自分はまだ執着がいっぱいで、どうしようもないように思う」と……。多くの同修は、無念な想いで精進の意志をなくしているのです。
この状態にある同修たちの皆さん! 私たちは「最も根本的なこと」を忘れているのではないでしょうか? 「内に向かって探す」ことは、すなわち「自らを真に修めること」なのです! 「内に向かって探す」ことは、修煉の過程であり、大法(ダーファ)に同化することです。口で言うだけでは、意味がありません。「内に向かって探す」と言いながら、実際は自分の執着心を暴露して終わり……これではいけないと私は思うのです。本当に自らを修煉し、自分を「真に修める」ことこそが、何よりも肝要なのです! 「内に向かって探す」ことは、自らの不足や人心、執着心、観念を探し出すことです。また「内に向かって探す」ことは、無条件にすべてを大法(ダーファ)の中にとけ込ませ、不足を無くして大法(ダーファ)に同化し、大法(ダーファ)のもとで正しくないものを正すことなのです。そして新たに大法(ダーファ)の基準に符合する正念、信念を生み出し、さらに大法(ダーファ)の弟子に相応しい正念正行をしていくということです。これが私の理解している「内に向って探す」ことの全過程なのです。
同修よ、くれぐれも「内に向かって探す」と言う言葉だけを、簡単に口にしないでください。また、「内に向かって探す」ことを形だけにしないでください。「内に向かって探す」ことは、師父が与えてくださった「心性の向上」そのものであり、「邪悪な存在の解体」に関わることでもあります。つまり「内に向かって探す」ことは、まさに「衆生を済度するための宝物」なのです。ですから、私たちは必ず「内に向かって探す」ことを本当に大切にしなければなりません。師父に与えられた難を前にして「内に向かって探す」ことは、私たち修煉者にとって、本当にこの上ない「宝物」です。もし私たちがすべてのことに対して真に「内に向かって探す」ことが出来るなら、また「内に向かって探す」という「宝物」を自在に使うことが出来るなら、私たちは法を正す修煉の道で、自ずから無敵の存在となるのです!
以上は、個人的な認識です。同修の皆様方、慈悲に基づくご指摘と補足事項を、心よりお待ちしております。
2008年10月24日
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2008/10/17/187813.html)
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